2008年5月 6日 (火)

サザエでございます。

朝から、サザエさんの曲が頭の中でヘビーローテーション。

『お魚咥えたドラ猫、追っかけて、裸足で駆けてく愉快なサザエさん。』

、、、、、

「あら、あれはあの磯野さんちの。」
「まあ、あんなに一生懸命ドラ猫を追いかけて。」
「あんなことがあったのに、相変わらず、元気ねえ。」

周囲の人々のざわめき、その裏に潜む嘲笑を感じながら、夕暮れの商店街をサザエは走り続けた。

愉快なの?何がそんなに愉快なのよ?人の不幸がそんなに面白いの?

そう、サザエは必死だった。家計は火の車で、サザエがパートで働いた収入でなんとかやりくりしているような状態だ。もうほとんど壊れてしまった家庭を、見せかけだけでもなんとか維持し、幼いタラオを育てる為も、サザエが頑張るしかない。

なんでこんなことになってしまったのかしら?

旦那のマスオは人のいいだけが取り柄の男で、将来的に大した出世は望めないのは分かっていた。でも、それでもいい。誠実な夫、暖かい家庭。そんなささやかな幸せこそが大切なのだと、サザエはマスオを選んだ。

だが、そんなサザエの想いとは裏腹に、日本経済はバブル崩壊と共に失速。終身雇用制度は崩れ、実力主義の格差社会がやって来た。マスオの勤める海山商事も、近年はその経営が悪化。「俺が辞めさせられたら、もう一家で首くくるしかないんだ。」そんなアナゴの泣き落としの前に、人のいいマスオは自ら早期退職を申し出てしまう。頑張ればなんとかなるさ、と新たな職を探すも、不況の波は予想以上酷く、その無力感とそして酒が、じわじわと繊細なマスオの精神を蝕んでゆく。

最初はそんなマスオに同情的だった両親も、泥酔したマスオがカツオを殴った頃から、その意見は急変する。

「酒に溺れるなんて、どうしようもない男だ。あんなクズ、もう捨てしまいなさい、サザエ。」
「そうですよ、サザエ。父さんの言うとおりになさい。」
「僕も、あんなやつ兄さんなんて呼びたくないよ。」
「姉さん、あの人に私とカツオお兄ちゃんの部屋には入らないでって言ってね。」

あれ程仲良く暮らしていたのに、問題が起こった途端の豹変。まるで、いらなくなった玩具をポイっと捨てるようなそんな物言いに、サザエは言いようのない怒りを感じた。この人達は、腐ってる。私がなんとかしなくては。私があの人を助けなくては。だけれど、肝心のどうすれば良いのか、がサザエには分からなかった。

その一件以来、マスオは完全に部屋に篭り、両親はそんなマスオの悪口しか言わない。幼いタラオにまで、マスオの悪口を吹き込む両親。反発するサザエ。そこにあるのは負のスパイラル、絶望的な断絶。

ギクシャクした人間関係から逃避する為、母さんは宗教に、カツオは非行へと走った。 父はそんな二人を軽蔑し、暴力を振るう。家計は当然火の車となって、家庭は崩壊した。
 

ずっとずっと頑張ればなんとかなるものだと思って、生きてきた。明るく一生懸命やれば、今日より明日、明日より明後日にはよりよい未来がやって来るものだと信じていた。

今や押しつぶされそうに冷酷な現実の前に、サザエは何も考えず、ただただ走り続けるしかなかった。まったく先の見えないままに。「これは夢だ。」と現実から逃げ出そうとする弱い自分を奮い立たせ続けた。、、、負けるもんか、負けるもんか、負けるもんか、、、

、、、

久しぶりに近所の商店街に買い物に行った。噂話の好きな人達ばかりだから、陰口が怖くて、最近めっきり行かなくなっていたのだけど、商店街の魚屋でカレイを買った。今夜はあの人の好きな煮魚にしようと思った。これで少しでも昔のあの人に戻ってくれたら。

「今日の夕食は煮魚よ。」

布団にくるまったまま動かないマスオにそう告げると、それでも久しぶりに気分の高揚するのを感じる。こんな気持ち、いつ以来だろう?

そんなサザエが台所に戻ると、そこに一匹の年老いた猫がいた。近所でよく見るドラ猫。今は憎くさえある父波平に良く似たその猫は、勝手口から進入し、魚を咥えて悠々と逃げ去るところだった。我が物顔でふてぶてしいその態度。

それを見た瞬間、サザエの中で何かが音を立てて崩れた。刹那、サザエの口からは意味を成さない叫び声が溢れ出していた。裸足のまま、手じかにあった包丁をエプロンのポケットに忍ばせて、駆け出す。

平和な夕暮れの商店街をサザエは走る、周囲の嘲笑を聞きながら。ただドラ猫だけを見て、必死に走る。

そう、どう考えてもイカレテルわね今の私。でも、本当にイカレテいるのはこの私だけ?こんな姿の私、あなた達の未来かもしれない。くそったれ。現実感のない見せかけだけの幸せ、一皮剥けば存在しない空ろな平和、そんな全部が消え失せてしまえばいい。

弾けるように刻まれる心臓の鼓動、吐き出す息。酸欠でくらくらする頭にすら、はっきりと感じられる今がある。やがて足の皮はすり剥けて、足からは血が滲む。そんな痛みすら、サザエは無性に心地良く感じた。

私は、今、生きている。

もう周囲の音は聞こえない。

路地裏に猫を追い詰めると、サザエは躊躇うことなく、ポケットの中にあったその右腕を振り下ろした。何度も、何度も。ただひたすらに。

今夜はあの人の好きな煮魚だ。

その顔には笑みが浮かんでいた。

   

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2008年1月23日 (水)

人生の正解と僕。

人生に正解なんてない。

、、、

僕らの生活は千差万別。生きるということは、様々な選択をすることだと思う。「今日のお昼ご飯は何にしようかな?」「このクール、ドラマは何を見ようかな?」なんて軽いものから、「将来、どんな職業になろうか?」「地球温暖化や環境問題の為に、僕は何をすべきなのだろうか?」「最近、周りの目が妙に厳しいんだけど、リストラされたらどうしようか?」「あの子から、メールの返事がまったく来ません。」「結婚できるのか?」なんてものまで。

多くの悩みがあり、それに対する僕らの選択がある。何もしないというのも一つの選択で、僕らは日々実に多くの選択と向かい合って生きているのだ。ちなみに、”家の洗濯機が脱水中に必ず仕事を放棄して止まる、結果洗濯物がびしょびしょだよ現象”に襲われても尚、僕が何もしていないのも、環境問題を考慮した僕の地球にやさしい洗濯の選択と言えるわけです。(注、洗濯と選択が掛かっている。)

だけれど、人生の諸問題の難しいところは、多くの場合、明確な正解がないということだ。

センター試験にマークシートのように、そこにはたった一つの正解があるわけじゃなくて、そもそも正解があるのかどうか、はたまたどんな選択肢があるのかすら分からない。だから、僕らは時に悩み、時に傷つき、でも自分なりの答えを探して前進するしかないんだ。

世間では勝ち組負け組なんてよく言うけれど、結局それはその時の人々の主観でしかないし、先のことは誰にも分からない。大事なのは、自分で考え選択するという行為で、その結果失敗したとしても、それは結果論にしか過ぎないのだ。現在はそれが結果でも、時が経てばそれは未来の原因になる。結局、今選択したこの一歩、その積み重ねが大切ということなんだよな。

かのベートーヴェンも、「行為の動機が重要であって結果は関係ない。精神生活が旺盛なら結果を考慮しないし、貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない。」とおっしゃられているそうで。久しぶりの更新で我ながらなかなかいいこと書いたね、うん。

でも、でもね、そうは言っても時には疲れ、翼の折れる時もあるじゃないですか。安易に正解を知りたくなることもある。そう、人間だもの。

、、、

職場の微妙な知り合いに、コンビニのレジあった。

お互い顔は知っているけど、話すことはないぐらいの同僚。いつもなら気づかないフリをするところなのだけど、全然気づかずにレジの後についてしまったので、勇気を出して挨拶してみた。そうだ、この一歩踏み出す勇気。この選択が、未来へと繋がるのだ。

そしたら、なんかビクっとするの。一度目が合って、彼も明らかにこちらが分かったハズなのに、なんか違う方を向くの。真横から声をかけたのに、全然聞こえませんでしたみたいな反応をする。さすがにその無視は露骨過ぎないかなって思うのだけど、彼、まったくこっちを見てくれない。

で、でね、その前では着物姿のおばさんがこっちをじっと見てくるの。

誘うような目のなまめかしい表情に、おばさんの肩なんて完全にはだけちゃってて、胸も完全にポロリ。そんな熟女が、同僚の買い物カゴの中からこっちを見てくるの。

 

そんなわけでお願いです。職場の同僚が、熟女もののエロ本を3冊も買っているのに遭遇し、気づかないフリをされた場合の正解を、誰か教えて下さい。

 

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2008年1月 3日 (木)

実家ナウ。

年末年始、実家に帰った。

町にはその町独特の匂いのようなものがあって、サケが匂いを頼りに生まれ育った川に帰るように、人も生まれ育った町に帰りたくなるものなのだろうな。

もちろん世界は変わりゆくものだから、慣れ親しんだ町並みの中にも、そこここに変化が。それはそれで仕方がないとは思いながらも、少し寂しくもなる。サケも、生まれ育った川の変化に寂しさを感じたりするのかしら。

一方で、変わったもの変わらないもののコントラストが面白くもあるのだけれど、、
 

コンビニなどに迎合したりせず、年末年始は昔と変わらずにしっかり休むという近所の酒屋の漢気には、強く心打たれた。

子供の頃通いつめてた駄菓子屋は、店構えそのままに美容院へ大変身という勇気を。

タコいっぱいの袋を持った八百屋のおじさんに、ミカンを薦められた。

夏に開業した古着屋は、もう廃業という潔さ。

「まだやってますか?」「大丈夫ですよ。」服を脱いだ途端、電気を消し始めた銭湯。

ホームレスのおじさんを捕まえて未来を占っているお婆さん。

どこからともなく、ガソリンの匂いがする。

 
そんなこの町の行く末から、ますます目が離せない。

 

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2007年12月31日 (月)

先生、、

同窓会にて。

小学校の担任との再会。2次会も終わり、人数を減らして次の店へ。テーブル席で盛り上がるクラスメート達を横目に見ながら、バーのカウンターに並んで、先生と二人で酒を飲む。こんな日が来るなんて、あの頃は想像もしなかったな。

子どもの頃、あんなに大きく見えた先生の背中は、なんだか意外に小さくて。白髪の増えたその頭。こんなに先生の手、しわくちゃだったっけ。そこに過ぎ去った年月の長さを感じる。今だから言えることがある。そう、あの頃言えなかったこと、そして、今だから分かることがあるのだ。

「先生、俺、先生のこと嫌いでした。だけど、だけど、先生、、」

「ちょっと、待て!!俺はもっとお前のことが嫌いだった。」

えっ?

「そうさ。俺はお前が嫌いだった。お前のすべて、その存在の全てを憎んでいたのさ。30年以上、教師という職業を続けてきたけれど、俺の教え子の中でお前程に憎んだ奴はいない。その顔を見る度、その声を聞く度に、なんだか無性にイラついた。学校に来なければいいのにって、いつも職員室で思っていた。なのに毎日休みもせずに、遅刻もせずにやってくるお前が無性に疎ましかった。そうさ、だからやってやったのさ。

お前の机に腐ったコッペパン入れたの、先生だ。あだ名がゴミコッペになったよな。それから、下駄箱に画鋲をいれたのも、先生だ。お前の上履きに牛乳かけて臭くしたのも、水着をゴミ箱に捨てたのも、クラスの人気者ミキの笛をお前のランドセルに入れて、笛泥棒の汚名をきせたのも、すべて先生だ。そして、そしてな、今だから言うけど、今でも充分大嫌いだぞ!!お前は、腐ったミカンだあ!!」

「、、、ええ、、、、」
 

そんな同窓会、見てみたい。

隣の席からそっと見てみたいと思う。

 

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