とっておきの場所と僕。
久しぶりに更新、久しぶりにトラックバック野郎にトラックバックしてみることに。
今週のお題は、
さあ、あなただったら災害時、真っ先にどこへ避難しますか? そのとっておきの避難場所を教えてください。
うん、かなり敷居が高いね。
とりあえず、災害という言葉について調べてみる。災害とは、『地震・台風・洪水・津波・噴火・旱魃(かんばつ)・大火災・伝染病などによって引き起こされる不時のわざわい。また、それによる被害。(gooの国語辞典より)』とのこと。
大いなる大自然の力を前にすれば、人間なんてゴミのようなものであり、まさに風の前の塵に同じ。どんな栄華を誇っていても、まるでタイタニック号のように、それこそ人生の”オレたにっく号”は、いつ災害という氷山にぶつかってもおかしくはない。
もちろん全然栄華を誇っていなくて、自然に沈むんじゃないか、それこそ乗っているのが人災なんじゃないか、そんな泥舟”オレたにっく号”であっても、きちんと災害には遭うわけで。大切なのはそんな危機に普段から備えておくこと。
ひとたび災害が起こったら、重要なのは、脱兎のごとく、それこそ負け犬の様に尻尾を巻いて、一目散に安全な場所に逃げること。間違っても、「オレは一歩も退かぬ、媚びぬ、省みぬ。」などといったサウザー(南斗鳳凰拳伝承者)が如き勇敢な態度ではないと思う。
終わらなかった仕事も、上司も、その他もろもろのしがらみをもすべてほっぽり出して、ただただ逃げる。後のことは、「仕事はきちんと終わらしてたんだけど、ちょっと予想外の災害が起こったもので。データが消えちゃって、、」みたいな線で。それこそ小学生の頃、夏休みが終わって、最初の授業中に宿題の提出を求められた時、「ちゃんとやったんだけど、家に忘れてきちゃいました。」と言ったあの日の感じだ。
そうあの日。「じゃあ、今から家に帰って取って来い。」冷徹な殺人鬼のような教師にそう宣言されて、この世のどこにも有りもしない、まさにエデンの園のような、そんな僕の宿題を探す旅に出ようとしたら、「潔くない。」などと輪をかけて激しく罵倒された。そんな幼きあの日の事を思い出す。
9月1日ってほんとに嫌な日だ。今年は金曜日だから、この日一日をどうにか耐え凌げば、とりあえずはオアシスな土日に逃げ込めるわけですね。
で脱線しちゃったけど、つまり僕が言いたいのは、危機にあって大切なのは、安全な場所に逃げること。まあ災害と言っても、正直、旱魃(かんばつ)・伝染病などは、個人のレベルで備えられる筈もなく、逃げる場所もないとは思う。だから、そのジャンルは大賢人にでもまかせておくに限る。どこからともなく現れた偉大な大賢人が、「え、いきなり殺人ですか、、。」な無駄な行動力を見せる王子様や、「最初からその力を使えば良かったのでは、、」な竜やらなんかと共に奮闘して、ハートウォーミングなストーリーを繰り広げてくれる筈。その果てに、「ゲド、あんまり役に立ってないよね。」「大賢人なんて名前だけだね。」なんて厳しい突っ込みを受けつつも、世界の均衡はそれなりになんとかなるのです。面白いですよね、ゲド戦記。
だから、とりあえず対策を考えとかないとやばそうなのは地震なんだろうけど、果たしてどこに逃げればいいのやら、、。
時々不安になるのは、もしかしてそんな備えのないのは自分だけで、周りの人達は皆、とっておきの避難場所をきちんと準備しているものなのか?ということ。多くの人にとって、それはあまりに当たり前のことで、”きつねうどんに油揚げが入っている”とか、”トイレにトイレットペーバーが置いてある”と言ったレベルの話だから、当然ながら日常の会話に上りさえしない。
「俺の昨日喰ったきつねうどんさあ、油揚げが入ってたんだよ。」「僕なんて、さっきトイレに入ったら、トイレットペーバーが置いてあったんだぞ。」なんて会話、気が狂っているとしか思えない。どんな田舎で暮らしていたんだろう、このかわいそうな子達は。
せめて「俺の昨日喰ったきつねうどんさあ、、、、トイレットペーバーが入ってたんだよ。」ぐらいはないと。
そうあの頃、家は貧乏で、それこそ日々の食に窮する程に貧乏で、毎日毎日食べるものといえば素うどんばかり。具なんて隣の畑から、夜中に勝手に分けて貰ってきたネギぐらい。「一箇所からまとめて取るとばれちゃうから、いろいろな所からちょっとずつ取るのよ。」って。でも、病気の末っ子に一度でいいからきつねうどんを食べさせてあげたくて、けど油揚げを買うお金なんてどこにもなくて。こんな金々ばかりの世の中じゃあ、一杯のきつねうどんすら苦しくて、泣いた夜もあったよね。だから母さん考えた、トイレットペーバーをいつもの素うどんの上にそっと浮かべて。「あっ、母さん。具だ、具が入ってるよ。すごい、こんなに大きなトイレットペーパーだ、、って、、こんなもの喰えるかボケ。」
、、大分脱線しちゃったけど、、、つまり、とっておきの避難場所については、それ位周知の事実で、ただ何かの手違いで、僕にだけその基本的な事実が伝わっていなかったら、、。
想像するに、日本のような人口の多い国では、一人一人がそれぞれにとっておきの避難場所を決めると、当然ダブルブッキング、トリプルブッキングが起こってしまう。「ここはオレのとっておきの場所だろ、お前ら入ってくるんじゃねえよ。」「ふざけんな、俺様の方が先に取ってたよ。」「オレの方が先でーすー。」「じゃあ、それ地球が何回回った時だよ。言ってみろよ。」それこそ災害下で、醜い人間の本質を曝け出す、血で血を洗う凄惨な抗争があちらこちらで勃発しかねない。だから、とっておきの場所は国家によって厳重に管理されているのだ。
おそらく”とっておきの避難場省”みたいな、ファミコンの隠れキャラみたいな省庁が丸の内にはあって、その末端として、各地方の役所にある”とっておきの避難場所課”がそれを管理しているのだろう。日本に住む日本人なら皆、中学生か高校生になってそれなりに分別がつくようになると、最寄の役所から二つに閉じられた葉書が、それこそあの住民税の督促状のようなタイプの葉書が届くに違いない。それをぺりぺりと開くと、そこにはその人だけの、オンリーワンなとっておきの場所が、国から指定されているのだ。それを見たら、誰にも言わず、家族にさえも言わずに、場所だけ覚えたら葉書は燃やしてしまう。川原なんかで、覚えたてのタバコを吹かしながら、星空を見つめながら、きれいさっぱり燃やしてしまうのだ。
それは自分だけの秘密の場所なのだけど、きっと、サラ金からの借金が膨らんで、もうとても払えなくなったりした時には、その筋の人がやって来て、「借金の形に、お前のとっておきの避難場所教えんかいコラ。じゃないとぶっ殺すぞワレ。」とか、「ねえちゃん、借りたものはきちんと返すのが社会のルールやろ。それができんなら、お前の体か、とっておきの避難場所で返せ。」なんて差し押さえられたりするんだ。闇の世界には、そんな差し押さえられたとっておきの避難場所を専門に扱う、闇のとっておきの避難場所マーケットなんかもあって、ギャング達の資金源となることが、社会問題化しているのです。
そんな誰もが必ず持つとっておきの避難場所。でも、僕の誕生日は年末だから、とっておきの避難場所課の人々も年末はいろいろと忙しくて、「もう、たまには残業止めて早く帰ってきて、パパ。」みたいなことを家族に言われたりするんだ。で、担当の人も「やっぱり仕事より家庭だよな。」って、仕事を途中で切り上げて帰ってしまうこともある。そう言えば今日は娘の誕生日だ。久しぶりに早く帰った我が家。「この子ももう5歳かあ、時の経つのは早いもんだなあ。」「そうね、早いもんね。」「もう一人ぐらい子供がいてもいいかもな。」「私、弟が欲しい。」「あら、まあ。」家族3人で、小さな食卓でケーキを囲んで、「パパ、私もう一人でも、ロウソクの火一息で消せるよ。」なんて。
で、とっておきの避難場所課の机の上には忘れられた書類が。「やべっ、これ提出期限過ぎちゃってるよ、、、捨てちゃうか、ぽい。」、、、それ僕の。
当然、引っ越したりすれば、住民票を移した時に、最寄の役所から”とっておきの避難場所変更のお知らせ”みたいなのが届くのだけど、僕にはもともとその場所がないから、縦割り行政の弊害みたいなことで、放置プレーになっているのに違いない。
だいたい災害などと言うものは、それこそ一番起こって欲しくない時に起こるものだから、きっと職場で夜中にこんなブログを書いている途中に、突然、地震は起こるんだ。とっておきの場所を持たない僕は、ただオロオロとするばかりで、上から振って来たなんやらかんやらが頭に当たって、書きかけの文章を残したまま入院するはめに。
そして、今回の地震の唯一の被害者みたいなことになって、「驚くべきことに、被害に遭われたAさんには、とっておきの避難場所が指定されていなかったのです。」なんてマスコミ報道されるのだ。そして、行政の怠慢だみたいな話になった時に、Aさんの傍らには書きかけのブログがなんてことで。さらされちゃうんだ。「これ何日分か読んだらさ、ぶっちゃけ、こんな奴はいいんじゃないのかな、どうなっても。」悲劇の主人公が台無し、そんな羞恥プレーに、もう病院のベットの上で身悶えるしかなくて、、、、死にたい。
そうなって初めて僕は気づく。僕は間違っていた、とっておきの避難場所ってのは、実在する場所ではないんだ。そんな物質世界に囚われていてはいけない、もっと精神世界に目をむけないと。そう、とっておきの避難場所は、みんなの心の中にあるんだ。こういう時の為にね。
、、、結局災害関係ねーし、一般的にはそれ、引き篭もりっていうのだけど。
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