そうじゃないのだ。
赤塚不二夫先生の特番の再放送を見た。
、、、
原作と作画のような漫画の分業体制が一般的ではなかった70年代当時、喫茶店にブレインとなるスタッフを集めて行われる3時間におよび赤塚プロのアイディア会議。何気ない世間話の中から、ギャグマンガの核となるきっかけを貪欲に見つけ出し、物語の流れを作り上げる。その後、机に向かうと、停滞することなく一気に、その天賦の才により下書きを書き上げる赤塚先生。さらにそれをスタッフが仕上げ、一本のギャグ漫画がおよそ13時間で完成する。
なんかギャグ漫画ってもっとごちゃごちゃとしていて、漫画家が行き当たりばったりに書いていくのかと思っていたんだけど、まあ、それじゃあたくさんの連載とか続かないもんね。赤塚という天性とそれを支える赤塚プロのシステムとの見事な融合が、バカボンの一話一話を生み出していたのですね。なるほど。
で、
その番組の中に、天才バカボンの何気ないセリフの裏に込められた意味、現代社会に生きる僕らへのメッセージを読み解いて、カウンセラーの先生が語るというコーナーがあったのです。
テレビの中のカウンセラーの先生
「では、次のシーンを見て頂きましょう。ここには、私達の親子関係の在り方に関して、非常に示唆に富んだヒントが込められているのです。」
僕(確かに、ここまでの赤塚プロダクションの考え抜かれた漫画作りの過程を見てくると、ただのギャグ漫画だとは侮れないぞ。その漫画の裏に、実は深い意図が込められていてもなんら不思議はないよな。)
~で、問題のそのシーン~~~~~~~~~~~~~
家の中。
魚を足にはめたバカボンのパパ
「ワシは退屈だから、タイのクツをはいているのだ。」
バカボン「わあ、すごい。かっこいいよ、パパ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕(え?)
テレビの中のカウンセラーの先生「はい、ココです。(力強く)」
僕(???)
得意げなカウンセラーの先生
「このシーンですね。私達は、通常、自分の子供とコミニュケーションを取る際に、何かそこに意味づけを必要としてしまいがちです。今日何があったの?だとか、宿題はしたの?だとか。
ですが、そういった意味を求める質問形式のコミニュケーションに対して、年頃の子供は反発してしまう傾向があるのです。これではコミニュケーションが成り立ちません。
ところがその点、バカボンのパパはまったく異なるアプローチでバカボンと話していますね。「ワシは退屈だから、タイのクツをはいているのだ。」と。まったく質問形式ではありません。そう、コレこそが各家族化の進む現代の私達の家庭において、極めて重要な親子間のコミニュケーションの形だと言える訳なのです。」
、、、うん、そんな訳ないのだ。
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