メイク。
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遠くから音がして、視界の端で何かが光る。
あれ、この辺で花火大会なんてあったかな?まあ、そんな季節だもんね。どこか遠くで打ち上げているのが、見えるのかもしれないな。
目の前には歩道橋。
「よし!!」
一段飛ばしで加速をつけながら、一気にかけ上る。
もうそんなに若くはないけれど、まだまだそれ程に年を取ったというわけじゃない。そんなことを考えながら、乱れる息を整え、周囲を見渡す。
うん、カミナリでした。
結果、ずぶ濡れ。
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「ヘイヘイ、時には起こせよムーブメント!!」
深夜の職場で一人歌っていたら、背後に守衛のおじいさん。
心から憐れむような目で見られるという僕のムーブメント。
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赤塚不二夫先生の特番の再放送を見た。
、、、
原作と作画のような漫画の分業体制が一般的ではなかった70年代当時、喫茶店にブレインとなるスタッフを集めて行われる3時間におよび赤塚プロのアイディア会議。何気ない世間話の中から、ギャグマンガの核となるきっかけを貪欲に見つけ出し、物語の流れを作り上げる。その後、机に向かうと、停滞することなく一気に、その天賦の才により下書きを書き上げる赤塚先生。さらにそれをスタッフが仕上げ、一本のギャグ漫画がおよそ13時間で完成する。
なんかギャグ漫画ってもっとごちゃごちゃとしていて、漫画家が行き当たりばったりに書いていくのかと思っていたんだけど、まあ、それじゃあたくさんの連載とか続かないもんね。赤塚という天性とそれを支える赤塚プロのシステムとの見事な融合が、バカボンの一話一話を生み出していたのですね。なるほど。
で、
その番組の中に、天才バカボンの何気ないセリフの裏に込められた意味、現代社会に生きる僕らへのメッセージを読み解いて、カウンセラーの先生が語るというコーナーがあったのです。
テレビの中のカウンセラーの先生
「では、次のシーンを見て頂きましょう。ここには、私達の親子関係の在り方に関して、非常に示唆に富んだヒントが込められているのです。」
僕(確かに、ここまでの赤塚プロダクションの考え抜かれた漫画作りの過程を見てくると、ただのギャグ漫画だとは侮れないぞ。その漫画の裏に、実は深い意図が込められていてもなんら不思議はないよな。)
~で、問題のそのシーン~~~~~~~~~~~~~
家の中。
魚を足にはめたバカボンのパパ
「ワシは退屈だから、タイのクツをはいているのだ。」
バカボン「わあ、すごい。かっこいいよ、パパ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕(え?)
テレビの中のカウンセラーの先生「はい、ココです。(力強く)」
僕(???)
得意げなカウンセラーの先生
「このシーンですね。私達は、通常、自分の子供とコミニュケーションを取る際に、何かそこに意味づけを必要としてしまいがちです。今日何があったの?だとか、宿題はしたの?だとか。
ですが、そういった意味を求める質問形式のコミニュケーションに対して、年頃の子供は反発してしまう傾向があるのです。これではコミニュケーションが成り立ちません。
ところがその点、バカボンのパパはまったく異なるアプローチでバカボンと話していますね。「ワシは退屈だから、タイのクツをはいているのだ。」と。まったく質問形式ではありません。そう、コレこそが各家族化の進む現代の私達の家庭において、極めて重要な親子間のコミニュケーションの形だと言える訳なのです。」
、、、うん、そんな訳ないのだ。
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こんな夢を見た。
、、、、
草原のようなところをただ一人で歩いている。辺りは靄がかかったように霞み、距離感があまりつかめない。そこは途方もなく広いようでもあり、近所の路地裏のように狭いようでもある。薄暗い日差し、むせ返るような草の匂い、そしてただひたすらに蒸し暑い。遠くからは、かすかに蝉の声が聞こえる。
プ~~ン。
周囲の草原のどこからともなく蚊が一匹飛んできて、半ズボンから伸びた僕の右太ももにピタリと止まる。「半ズボン?」そんな疑問を抱きながら、とりあえず右手でそいつを叩き潰す。手の平で潰れた蚊の腹から垂れる僕の血。これも出血というのかな?
プ~~ン。
またどこからともなく蚊が飛んできて止まり、叩き殺す。なんて無力な生き物なのだろう。手を汚す中途半端な量の血。蚊の血、僕の血。
プ~~ン。
そしてまた蚊はやって来て、止まり、殺す。プ~~ン。また、止まり、殺す。ただひたすらに繰り返される不毛な作業。いつまでこんなことが続くのだろう?こんなことに何の意味があるのだろう?もう止めてしまえばいいのじゃなかろうか?そんなことを考えながらも、機械のように黙々と手を動かし、飛んでくる蚊を叩き潰す。この哀れな生き物を殺し続ける。何も考えず、何も感じず。そう、降りかかる火の粉はとっとと払う、それだけのことなのだ。
額に噴き出す汗。それにしてもここ、すごく暑い。
ふと我に返ると、僕の周囲には無数の蚊が飛び周り、僕はその群れの中にいた。ひっきりなしに聞こえる羽音、僕の太ももにはもう十匹以上も止まっている。慌てて太ももを叩く。パシン。潰れた蚊、飛んで逃げる蚊。そして再び止まる蚊。
パシン。プ~~ン。
パシン。プ~~ン。
必死で繰り返す内、たちまち僕の手の平は真っ赤になり、それでも奴らは後から後からと、無数にやって来るのだ。どこまで行っても終わりはないし、どこにも変化はない。絶望的な反復作業。
こんなことなら半ズボンなんて履いてこなければよかった。僕が後悔に包まれるその間にも、真黒に蚊の群れが止まり、僕の太ももはブツブツと膨れ上がる。もうそれが本当に僕の太ももなのかもよく分らなくなってきた。噴き出す汗。それでもただただ反射的に動き続ける僕の手。なんて無力で哀れな生き物なのだ。
そう、こんな僕に言えることは、ただ一つだけだ。
太もも、めちゃめちゃかゆい。
、、、そんな夢を見た。
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朝から、サザエさんの曲が頭の中でヘビーローテーション。
『お魚咥えたドラ猫、追っかけて、裸足で駆けてく愉快なサザエさん。』
、、、、、
「あら、あれはあの磯野さんちの。」
「まあ、あんなに一生懸命ドラ猫を追いかけて。」
「あんなことがあったのに、相変わらず、元気ねえ。」
周囲の人々のざわめき、その裏に潜む嘲笑を感じながら、夕暮れの商店街をサザエは走り続けた。
愉快なの?何がそんなに愉快なのよ?人の不幸がそんなに面白いの?
そう、サザエは必死だった。家計は火の車で、サザエがパートで働いた収入でなんとかやりくりしているような状態だ。もうほとんど壊れてしまった家庭を、見せかけだけでもなんとか維持し、幼いタラオを育てる為も、サザエが頑張るしかない。
なんでこんなことになってしまったのかしら?
旦那のマスオは人のいいだけが取り柄の男で、将来的に大した出世は望めないのは分かっていた。でも、それでもいい。誠実な夫、暖かい家庭。そんなささやかな幸せこそが大切なのだと、サザエはマスオを選んだ。
だが、そんなサザエの想いとは裏腹に、日本経済はバブル崩壊と共に失速。終身雇用制度は崩れ、実力主義の格差社会がやって来た。マスオの勤める海山商事も、近年はその経営が悪化。「俺が辞めさせられたら、もう一家で首くくるしかないんだ。」そんなアナゴの泣き落としの前に、人のいいマスオは自ら早期退職を申し出てしまう。頑張ればなんとかなるさ、と新たな職を探すも、不況の波は予想以上酷く、その無力感とそして酒が、じわじわと繊細なマスオの精神を蝕んでゆく。
最初はそんなマスオに同情的だった両親も、泥酔したマスオがカツオを殴った頃から、その意見は急変する。
「酒に溺れるなんて、どうしようもない男だ。あんなクズ、もう捨てしまいなさい、サザエ。」
「そうですよ、サザエ。父さんの言うとおりになさい。」
「僕も、あんなやつ兄さんなんて呼びたくないよ。」
「姉さん、あの人に私とカツオお兄ちゃんの部屋には入らないでって言ってね。」
あれ程仲良く暮らしていたのに、問題が起こった途端の豹変。まるで、いらなくなった玩具をポイっと捨てるようなそんな物言いに、サザエは言いようのない怒りを感じた。この人達は、腐ってる。私がなんとかしなくては。私があの人を助けなくては。だけれど、肝心のどうすれば良いのか、がサザエには分からなかった。
その一件以来、マスオは完全に部屋に篭り、両親はそんなマスオの悪口しか言わない。幼いタラオにまで、マスオの悪口を吹き込む両親。反発するサザエ。そこにあるのは負のスパイラル、絶望的な断絶。
ギクシャクした人間関係から逃避する為、母さんは宗教に、カツオは非行へと走った。 父はそんな二人を軽蔑し、暴力を振るう。家計は当然火の車となって、家庭は崩壊した。
ずっとずっと頑張ればなんとかなるものだと思って、生きてきた。明るく一生懸命やれば、今日より明日、明日より明後日にはよりよい未来がやって来るものだと信じていた。
今や押しつぶされそうに冷酷な現実の前に、サザエは何も考えず、ただただ走り続けるしかなかった。まったく先の見えないままに。「これは夢だ。」と現実から逃げ出そうとする弱い自分を奮い立たせ続けた。、、、負けるもんか、負けるもんか、負けるもんか、、、
、、、
久しぶりに近所の商店街に買い物に行った。噂話の好きな人達ばかりだから、陰口が怖くて、最近めっきり行かなくなっていたのだけど、商店街の魚屋でカレイを買った。今夜はあの人の好きな煮魚にしようと思った。これで少しでも昔のあの人に戻ってくれたら。
「今日の夕食は煮魚よ。」
布団にくるまったまま動かないマスオにそう告げると、それでも久しぶりに気分の高揚するのを感じる。こんな気持ち、いつ以来だろう?
そんなサザエが台所に戻ると、そこに一匹の年老いた猫がいた。近所でよく見るドラ猫。今は憎くさえある父波平に良く似たその猫は、勝手口から進入し、魚を咥えて悠々と逃げ去るところだった。我が物顔でふてぶてしいその態度。
それを見た瞬間、サザエの中で何かが音を立てて崩れた。刹那、サザエの口からは意味を成さない叫び声が溢れ出していた。裸足のまま、手じかにあった包丁をエプロンのポケットに忍ばせて、駆け出す。
平和な夕暮れの商店街をサザエは走る、周囲の嘲笑を聞きながら。ただドラ猫だけを見て、必死に走る。
そう、どう考えてもイカレテルわね今の私。でも、本当にイカレテいるのはこの私だけ?こんな姿の私、あなた達の未来かもしれない。くそったれ。現実感のない見せかけだけの幸せ、一皮剥けば存在しない空ろな平和、そんな全部が消え失せてしまえばいい。
弾けるように刻まれる心臓の鼓動、吐き出す息。酸欠でくらくらする頭にすら、はっきりと感じられる今がある。やがて足の皮はすり剥けて、足からは血が滲む。そんな痛みすら、サザエは無性に心地良く感じた。
私は、今、生きている。
もう周囲の音は聞こえない。
路地裏に猫を追い詰めると、サザエは躊躇うことなく、ポケットの中にあったその右腕を振り下ろした。何度も、何度も。ただひたすらに。
今夜はあの人の好きな煮魚だ。
その顔には笑みが浮かんでいた。
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人生に正解なんてない。
、、、
僕らの生活は千差万別。生きるということは、様々な選択をすることだと思う。「今日のお昼ご飯は何にしようかな?」「このクール、ドラマは何を見ようかな?」なんて軽いものから、「将来、どんな職業になろうか?」「地球温暖化や環境問題の為に、僕は何をすべきなのだろうか?」「最近、周りの目が妙に厳しいんだけど、リストラされたらどうしようか?」「あの子から、メールの返事がまったく来ません。」「結婚できるのか?」なんてものまで。
多くの悩みがあり、それに対する僕らの選択がある。何もしないというのも一つの選択で、僕らは日々実に多くの選択と向かい合って生きているのだ。ちなみに、”家の洗濯機が脱水中に必ず仕事を放棄して止まる、結果洗濯物がびしょびしょだよ現象”に襲われても尚、僕が何もしていないのも、環境問題を考慮した僕の地球にやさしい洗濯の選択と言えるわけです。(注、洗濯と選択が掛かっている。)
だけれど、人生の諸問題の難しいところは、多くの場合、明確な正解がないということだ。
センター試験にマークシートのように、そこにはたった一つの正解があるわけじゃなくて、そもそも正解があるのかどうか、はたまたどんな選択肢があるのかすら分からない。だから、僕らは時に悩み、時に傷つき、でも自分なりの答えを探して前進するしかないんだ。
世間では勝ち組負け組なんてよく言うけれど、結局それはその時の人々の主観でしかないし、先のことは誰にも分からない。大事なのは、自分で考え選択するという行為で、その結果失敗したとしても、それは結果論にしか過ぎないのだ。現在はそれが結果でも、時が経てばそれは未来の原因になる。結局、今選択したこの一歩、その積み重ねが大切ということなんだよな。
かのベートーヴェンも、「行為の動機が重要であって結果は関係ない。精神生活が旺盛なら結果を考慮しないし、貧困と不幸は単に事柄の結果であるにすぎない。」とおっしゃられているそうで。久しぶりの更新で我ながらなかなかいいこと書いたね、うん。
でも、でもね、そうは言っても時には疲れ、翼の折れる時もあるじゃないですか。安易に正解を知りたくなることもある。そう、人間だもの。
、、、
職場の微妙な知り合いに、コンビニのレジあった。
お互い顔は知っているけど、話すことはないぐらいの同僚。いつもなら気づかないフリをするところなのだけど、全然気づかずにレジの後についてしまったので、勇気を出して挨拶してみた。そうだ、この一歩踏み出す勇気。この選択が、未来へと繋がるのだ。
そしたら、なんかビクっとするの。一度目が合って、彼も明らかにこちらが分かったハズなのに、なんか違う方を向くの。真横から声をかけたのに、全然聞こえませんでしたみたいな反応をする。さすがにその無視は露骨過ぎないかなって思うのだけど、彼、まったくこっちを見てくれない。
で、でね、その前では着物姿のおばさんがこっちをじっと見てくるの。
誘うような目のなまめかしい表情に、おばさんの肩なんて完全にはだけちゃってて、胸も完全にポロリ。そんな熟女が、同僚の買い物カゴの中からこっちを見てくるの。
そんなわけでお願いです。職場の同僚が、熟女もののエロ本を3冊も買っているのに遭遇し、気づかないフリをされた場合の正解を、誰か教えて下さい。
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年末年始、実家に帰った。
町にはその町独特の匂いのようなものがあって、サケが匂いを頼りに生まれ育った川に帰るように、人も生まれ育った町に帰りたくなるものなのだろうな。
もちろん世界は変わりゆくものだから、慣れ親しんだ町並みの中にも、そこここに変化が。それはそれで仕方がないとは思いながらも、少し寂しくもなる。サケも、生まれ育った川の変化に寂しさを感じたりするのかしら。
一方で、変わったもの変わらないもののコントラストが面白くもあるのだけれど、、
コンビニなどに迎合したりせず、年末年始は昔と変わらずにしっかり休むという近所の酒屋の漢気には、強く心打たれた。
子供の頃通いつめてた駄菓子屋は、店構えそのままに美容院へ大変身という勇気を。
タコいっぱいの袋を持った八百屋のおじさんに、ミカンを薦められた。
夏に開業した古着屋は、もう廃業という潔さ。
「まだやってますか?」「大丈夫ですよ。」服を脱いだ途端、電気を消し始めた銭湯。
ホームレスのおじさんを捕まえて未来を占っているお婆さん。
どこからともなく、ガソリンの匂いがする。
そんなこの町の行く末から、ますます目が離せない。
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同窓会にて。
小学校の担任との再会。2次会も終わり、人数を減らして次の店へ。テーブル席で盛り上がるクラスメート達を横目に見ながら、バーのカウンターに並んで、先生と二人で酒を飲む。こんな日が来るなんて、あの頃は想像もしなかったな。
子どもの頃、あんなに大きく見えた先生の背中は、なんだか意外に小さくて。白髪の増えたその頭。こんなに先生の手、しわくちゃだったっけ。そこに過ぎ去った年月の長さを感じる。今だから言えることがある。そう、あの頃言えなかったこと、そして、今だから分かることがあるのだ。
「先生、俺、先生のこと嫌いでした。だけど、だけど、先生、、」
「ちょっと、待て!!俺はもっとお前のことが嫌いだった。」
「えっ?」
「そうさ。俺はお前が嫌いだった。お前のすべて、その存在の全てを憎んでいたのさ。30年以上、教師という職業を続けてきたけれど、俺の教え子の中でお前程に憎んだ奴はいない。その顔を見る度、その声を聞く度に、なんだか無性にイラついた。学校に来なければいいのにって、いつも職員室で思っていた。なのに毎日休みもせずに、遅刻もせずにやってくるお前が無性に疎ましかった。そうさ、だからやってやったのさ。
お前の机に腐ったコッペパン入れたの、先生だ。あだ名がゴミコッペになったよな。それから、下駄箱に画鋲をいれたのも、先生だ。お前の上履きに牛乳かけて臭くしたのも、水着をゴミ箱に捨てたのも、クラスの人気者ミキの笛をお前のランドセルに入れて、笛泥棒の汚名をきせたのも、すべて先生だ。そして、そしてな、今だから言うけど、今でも充分大嫌いだぞ!!お前は、腐ったミカンだあ!!」
「、、、ええ、、、、」
そんな同窓会、見てみたい。
隣の席からそっと見てみたいと思う。
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僕たちの暮らすこの近代社会には、意味のあるものとないものが混在している、、、
資本主義社会というのは、その名の通り資本という原理が最大の価値を持つ社会なわけで、至極当然に効率を重視して構成されているのだから、すべてのものに資本的な意味があるように思いがちだ。意味のないものというのは、この社会の原理からすれば無駄なものな訳で、それはつまりは価値のないものなのだから。
けれどその一方で、人はその存在自体が理不尽さや、大いなる自己矛盾を抱えている。人の本質は、そのあいまいさにあるとも言えるし、言い換えるなら人のこの”あいまいさ”という名の柔軟さこそが、人とロボットとの決定的な違いを生み出しているのだ。自身の柔軟さは、外界に対する反応性の柔軟さを支える基盤となるのだから。つまり、生きるということは、日々変わりゆく外界の状況に対応し、自身で状況を変革することなのだ。
その構成要素である人があいまいさを本質としている以上、人の作ったこの資本主義社会も当然、多くのあいまいさや矛盾を内包しない訳がないのだ。結局、効率や意味が主要な価値を有したとしても、それだけでは社会は構成されえないないのだよ。だから日常の生活で、僕らがその意味に納得できないこと、理不尽なことは多いけれど、それもしょうがないよね。
というわけで、そろそろ年賀状を書こう。
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やっぱクリスマスはムードがあってハッスルするから、疲れたな。
帰って来たらもうこんな時間だよ。仕事からな。
負け犬の足跡をここに記す。
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「フフフ。」
それは突然の微笑みだった。特急で降りるべき駅をあっさりと寝過ごした僕は、何処かもよくわからない駅で、折り返しの電車を待っていた。自分の愚かさに呆れ、行き場をなくした感情の渦に呑み込まれながら。
行き交う人々の足音はやけに遠くに感じられ、夜のホームを吹き抜ける北風はやけに冷たかった。「とんだダメ人間だな。」
そんな時だった。
背後に人の気配を感じて振り返ると、そこには中年期をやや過ぎた長身の男が一人。周囲の慌ただしい雰囲気に場違いな程飄々と立っていた。静かな微笑みを浮かべながら。
やさぐれた僕の心を癒そうとでもするように、穏やかに笑い続ける男。
「寝過ごしたっていいじゃないですか。それより、そんなにイライラする方が勿体ないですよ。」そんな彼の声が聞こえた気がして、僕はハッとする。
微笑みを忘れがちな現代人。彼はこうやって、皆に微笑みを分けているのかもしれないな。北風吹く駅のホームに、今日も一人で佇んで。
僕の目の前で、依然として静かに笑い続ける彼の心の声が、また聞こえた気がした。「微笑みはいりませんか?」
「いりません!!」
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「おきなーわ、おーきーなーわー!!」
道の真ん中で泣き叫ぶ孫。その手を握り、困惑模様のおじいさん。
「、、おきなわ?何が沖縄なんだい?」
「おーきーなわー、おきーなーわー!!」
「???」
たぶんそれ、意味とかない。
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食事を奢ってもらった。
中華料理ですよ、それも本格中華料理。近所の食堂のラーメン定食(餃子付)とか、ぜんぜんそんなのじゃなくて、ちゃんと丸い回転テーブルに大皿で順番に出てきて、小皿に取り分けて食べるやつ。
「遠慮しないでどんどん食べなさい。」
やったー、言われなくても遠慮なんかしないぞ。いっただきまーす。
喜び勇んで一口食べたら、なんかどの料理もすごく刺激的。前菜みたいなのからして、この料理のどこがと思うぐらい、尋常じゃなく辛い。うん、これほんとに味見してつくってんのかな?昨日入ったばかりのバイト(ゴキリン)がフィーリングで味付けしてんじゃねーかな?もう真冬なのに、吹き出る汗が止まらないの。
さすが本場風味の四川料理だよね。
「さあ遠慮しないでどんどん食べなさい。」
、、、、
杏仁豆腐のうまさ、はじめて分かった。
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聞きなれない言葉って面白い。普段使わない組み合わせの音の響きって、なんだか無性に心惹かれてしまいますよね。
マトルティ、 ゲザル、 カチョ、 フレジ、 ベンディファラー、 ダニー・ヘイ、 パラシオ、 ワイタケレ、 ヒメネス、 エトワール・サヘル、 マルビン・カブレラ、 ガバジェロ、 トトリ、 シェルミティ、 ナビドキア、 チュパカブラ、 パチューカ、 セパハン、 カリミ、 ガットゥーゾ、 カカ、 闘莉王、 ボカ・ジュニアーズ(←ボカの辺り)。
ちなみに、チュパカブラ選手は2~5メートルもの驚異的なジャンプ力を持つぞ、要チェックや!!
(南米の吸血UMA、今回のTOYOTAカップには残念ながら参加しておりません。)
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「ご存知?赤ちゃん恐竜ロボが発売されるんですって、」
「あらやだ。恐竜ですの?奥様」
「カマラサウルスですって、草食恐竜の。プレオって名前らしいですわよ。」
「まあ。プレオ。」
「ファービーの生みの親の方が、全精力を傾けて開発したそうですよ。」
「ファービーの方が全精力でねえ。」
「いたずらや、食べ物のおねだりなんかもするらしいですわ、奥様。」
「なんだか宅の主人みたいですわねえ。」
「家の主人もそうですわ。家事なんか全然しないで、日曜日はいつもゴルフゴルフで。これも仕事だなんて言ってるけど、ゴルフのどこが仕事なんだか。」
「そんなことおっしゃられて。奥様のご主人はどんどん出世なさってますもの。」
「いえいえ家なんて。お宅に比べたら。」
「いえいえ、家なんていえいえ。」
「それにしても、プレオはサイトで予約販売しているみたいですのよ。」
「なんだかこのサイトの泣き声、宅の主人のイビキみたい。」
「あら、やだわ奥様ったら。それにしても、科学も進んだもんですわねえ。」
「本当にねえ。」
「おっと、いけないこんな時間。主人が帰ってきちゃいますわ。食べ物のおねだりをされる前に、夕食の支度をしないと。長く引き止めてしまってすいません。」
「いえいえ、こちらこそすいません。」
「それではごめんあそばせ。」
「それでは、ごめんあそばせ。」
そんな恐竜型ロボット、プレオの価格は5万2500円也。
決して安い値段ではないけれど、その機能を考えれば欲しい人には手頃なのですかね?
、、、
たとえ日々の生活において、現在の自分の在り方に問題があると感じたり、なんてダメ人間なのだと落ち込んだとしても、未来の世界からネコ型ロボットが送り込まれて来ない所をみると、今後も僕の人生はそこそこに持ち堪えるということなのだろう。
「ああしておけばよかった。」と後悔することは多いけど、僕のこれまでの人生の選択において、致命的な失策はなかったのだろうな。
これまでそう思ってきた。
けれど、恐竜型のペットロボットからしてこの値段であることを考えると、たとえ過去を変えたくなる程に僕の未来が壮絶過酷であったとしても、格差社会に没落した僕の子孫には、万能ネコ型ロボットが高くて買えない可能性もあるよなと。
「お客様、大変申し訳ないのですが、このご予算ですと、タイムマシーン付きのそちらのネコ型の商品はちょっと、、それより、こちら。新製品のヒト型溺死体ロボット”ドザえもん”が、ただ今キャンペーン中でして。今なら一体お買い上げ頂くと、もれなくもう一体無料でプレゼントとなっておりますが、いかがでしょうか?どうです、このリアルな造形。万全の品質管理を行っていますので、ピクリとも動きません、ハイ。」「いらねーよ。」
それ以前に、子孫がいない可能性もあるな、、、
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元バイト君が「オレ、ゴキブリを揚げたぜ!」とか、「やっぱそれウソでした。」とか。「いや、むしろウソというバイトの発言の方がウソなんじゃないか?」とか。
一体全体、何がなにやら。
だいたい真実にしろ、ウソにしろこんなこと言う意味が分からない。日記に書いて公開する彼の意図がわかないのですよ。
だって、
「オレなんて、ケンタッキ-でゴキブリを揚げたことあるんだぜ!」
「すげー、まじかよ!お前には負けたぜ、、、」
「この国に、とてつもない男が現れたもんじゃ。」
「きゃー、なんてワイルドなの。もう好きにして!!抱いて!!」
とかないから。
僕も高校時代、教室にゴキブリが出現した時などは、ここぞとばかりに逃げまどう女子の前に敢然と立ったもんですよ。「これは数人単位で惚れられたな。この恋愛泥棒が。」などと思いながら、漢らしく靴で踏みつぶしたんだけど、その結果は「汚い!」とか、「近寄らないで!」とか誹謗中傷の嵐。まだ日記にも書いていないのに、教室の隅で一人炎上ですよ。
いたたまれなくなって、すごすごと靴の裏についたゴキ汁をティッシュで拭き、ゴキの遺体と共に教室のゴミ箱に捨てようとしたら、それを見ていた女子の方から「汚いから、ソレここには捨てないでよ。」だもん。ええ、焼却炉までとぼとぼ捨てに行きましたよ。あだ名が、ゴキリンとかになりかねなかった。今、冷静に考えても、アレ、いじめだよな。ゴキのネガティブイメージを舐めていた。
今回の事件も、ゴキの類まれなる悪のカリスマ性に対する、バイト君(ゴキリン)の過小評価故と言えるかもしれませんね。
食品の安全性が問われる昨今、しかも12月というKFCにとってはせっかくのシーズンなのに、ゴキリンのせいで関係各所の人はいい迷惑だろう。余計な会議の1つや2つ確実に増えているのでしょうね。
事実の真偽や、細かい事情はさっぱり分からない僕がとりあえず言えるのは、更なる衛生管理およびバイト教育を徹底して欲しいということ。
あと、
ゴキリンのゴキブリを生け捕りにする技術、生きたまま衣をつけるその勇気はもっと評価されるべき。
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携帯のパンダストラップが色落ち。
シロクマっぽくなったので、マジックできれいに塗り直した。
わーい完成!!
、、、
数時間後、見事に色が滲んで、薄汚れたクマに。
欲望が交錯する、都会という名のコンクリートジャングル。弱肉強食のこの世界で、転げまわって必死に生きる。そんなロンリーベアーなオレにはお似合いのストラップだな。
目下、人生に冬眠中。春はまだ?
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冬至より前の今ぐらいの時期が、実は一年で一番日の入りが早いらしい。
今年のインフルエンザの流行は、かなり早めかららしい。
天災、災害の多かった天平時代の菩薩像は、今よりずっと男っぽい、強いイメージらしい。
ポピ族の予言によると、灰色のひょうたんによる人類の滅亡が近いらしい。
母なる地球の怒りを鎮め、人類の未来を切り開いていくためにも、僕ら一人一人の日々の心がけや行動が大切らしい。
そんなことより、駐車場の代金の振込をほんの数ヶ月うっかりお休みしていたせいで、地主さまがひどくご立腹らしい。仲介する不動産屋に、怒りの電話がもりもりとかかってきたらしい。
灰色のひょうたんより前に、地主さまの怒りの方から鎮めて欲しい。
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「ママ、この食堂とマックってどっちがエライ?」
「よけいなこと言ってないで、とっとと食べなさい!!」
ちびっ子、テラシュール。
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きょう、『つばき三じゅうろう』(椿三十郎)というおさむらいさんのえいがを見ました。
がんばって、夜にひとりで見に行きました。きっぷうりばのおねえさんは「こんな時間にひとりでえいが見にきてんじゃねーよ。かえれきもおた。」というつめたい目をしたけども、ぼくはまけなかった。がんばってきっぷを買いました。
それから、いりぐちでイケスカナイお兄さんにきっぷをきられ、「つばき三じゅうろうですね?」とばかていねいに2かいもかくにんされました。「きっぷにそうかいてあんだろ、読めよボケ。死ね。」とぼくは思った。きっときっぷうりばのおねえさんと、こいつはつきあっている。いろいろないみで、つきあっている。ふたりとも、きっぷといっしょにトイレ(くみとり式)にながれてしまえばいいと思います。
こうかいちょく後というのに、えいがかんはすごくすいていて、どこでもすきなせきにすわることができてとてもよかったです。まるで、石ゆこうとうでただ今ぜっこうちょうのアラブの王さまになった気ぶんで、まん中のせきにすわりました。ぼくのななめまえには、しにそうなかおのおじさんがすわっていて、たぶんりすとらです。「これがおわったらじゅ海かしら?こころにやきつけて逝けよ」と思いました。
ようやくのえいがには、かたなをさしたおさむらいさんがすごくたくさん出てきて、いろいろとおとなはたいへんだなあと思いました。チャンバラがすごくて、とくにさいしょにきりかかって行く人は下っぱなのかと思ったら、これはとても人ごとじゃあないです。
それから、つばきの花もとてもきれいでよかったです。つばきにあんないみがこめられているなんて。また、こんどえいがに行きたいです。
ちなみに、話のないようはくそだった。
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ナマハゲが見ていた。
、、、いや、なんとなく思いついたの。せっかくだから。
断言できるのだけど、たとえ素面であろうとも、夜中に自分のつぼに来ていることって、明日には確実に冷めている。しかし、だからこそなのだ。だからこそ、明日には失われてしまうからこそ、今のオンリー僕が感じたこのピュアな想いを、広大なネットの片隅に止めておきたい。
ナマハゲが、ナマハゲだけが見ていた。(繰り返した)
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僕たちが生きるこの世の中では、なんの役にも立たないようなもの、一見して不必要にしか見えないもの、そんな物の中にこそ、表面的ではない真の美が宿っているものなのです。
そんな話。
、、、
『直接的に、生活の役に立つか立たないか?』という基準で考えると、多くの芸術作品はまったく役に立ちません。
「もう、あなたにはうんざりだわ。離婚しましょう。」だとか、「君は明日から来なくていいよ。もう職場には来なくていいから、その時間で次の職を探しなさい。」だとか、「いい人だとは思うけど、、ゴメンサナイ。」だとか。最後の方に若干、最近の実体験が籠っていたりして、微妙に凹んでしまうわけなのですが、つまり人生の哀愁漂うこれらのシーンにおいて、芸術はそれ自体では無力です。
たとえば、僕の部屋にいきなり場違いなピカソの絵があったとしても、これらの問題が好転するとはとても思えません。
せいぜい、泥沼の慰謝料争いに大発展したりとか、「絵なんかに現を抜かしているから仕事ができないんだ、クズ。死ね。」といった上司からの素敵な言葉がもれなく頂けたりだとか、はたまた「プレゼント、、ピカソがいいな。お願い。」などと掠め取られた上でボロ雑巾のようにポイが関の山で、芸術は厳しいこの現実社会に対しては、ある意味でとても無力であると言えましょう。それにしても、「いい人だけど、」ってなんだよ、だけどの使い方間違ってねーか。
もちろん、素晴らしい芸術作品というものは、往々にしてそれ自体、金銭的な価値を持つもので、その意味では万人にとって役立つと言えるますけれど、それはお金が大切という話。芸術自体が役に立つということとは違うと思うのです。
そもそも、絵画などの美術品に天文学的な値段がついたりするのも、”役に立つか立たないか?”という用不用の日常的な次元を超えて、芸術作品を純粋に素晴らしいと思える人々の存在があってこそでしょう。
そこに純粋な価値を見出す人がいるからこそ、芸術作品には金銭的な価値がつき、金銭的な価値を目当てに芸術作品に価値を見出す人も出てくるわけで、それはあくまでも2次的な現象に過ぎないのではないかと思う。「絵なんか全然欲しいとは思わないけれど、高く買う奴がいるから、とりあえず投資目的で買っておくか。」世の中がそんな人だけだったら、そもそも美術の価値なんて成立しないですよね。つまり、純粋な価値を見出す人が先なのではないかと。
で、
世の中には”役に立たないもの”はたくさんあるじゃないですか。それこそ、ゴミ箱は役に立たないもの玉手箱。夢の島なんて、役立たないものドリームアイランドだけど、それはそれ、これはこれ。同じ”役に立たないもの”でもゴミはゴミ、芸術は芸術。なんだか厳然とした格差が存在するわけです。この線引きはなんなのか、誰が決めているのかな、と。
僕も、幼い日の社会見学などで美術館ぐらいは行ったことがあるのですが、古典的な美術作品はさて置き、現代美術になるともうなんだかさっぱり分からないですよね。
部屋の中央に小汚い鉄の塊、「こんなの、ゴミの日にアパートの前に置いてあったとしても、盗まれるどころか持って行ってもくれないんじゃないか。」と心配してしまうような存在感のある作品が、堂々と鎮座していたり。
その横の壁には、”図工の時間中ずっと遊んでいた小学生が、授業終了間際にあせって一気に描き上げた”かのようにしか見えない葉書位の絵が、立派な額縁に入れられて仰々しく飾られていたりする。たぶん、絵の値段もこの額縁よりは高いのでしょう。
美術館に並べられたこれらの作品が持つ違いというのは、一体なんなのかなと考えると、、
結局、言ったもん勝ちなんじゃないかと。
そりゃあ、見るからにこれはすごい。確かに芸術的だ。と思うものもあります。でも、たとえそれがゴミにしか見えなかったとしても、作った人がそれを力強く芸術だと言い張る。ちょっとどうかなと周囲から思われたとしても、「近代文明によって人間の個が抑圧・搾取される資本主義社会と、我らが母なる地球(ガイア)への破壊活動(環境破壊問題)に対するアンチテーゼだ!」とかそんなことを自信満々に主張する。
そういった、力強い気持ち、所謂心意気という奴に呼応して、「なんだかさっぱり分からないけど、確かにすごい。」と思う人が増え、その価値が昇華して行く。そうしたムーブメントが、本来役に立たないはずの作品に価値を生み出す。そう、人を感動させるのは、唯一人の心なのだ。(by海原雄山)
逆に、”役に立つもの””その用途が明確なもの”というのは、元々その価値が存在してしまう為、美としては成立しにくくなる。だから、なんの役にも立たないようなもの、一見して不必要にしか見えないもの、そんな物の中にこそ、表面的ではない真の美というものが宿っていると言えるのだ。ドーン!!
で、
先程、電車の中で、禿げたズラを装着したおじさんを見た。
所謂ズラというものは、髪の問題を抱える人々が、積極的な問題解決策として用いる装着具なわけですが、それがもう清清しいほどに帯状に禿げてるの。
何を言っているかよく分からないかもしれないけれど、忘年会だとかテレビの中だとか、そういう特別の場所でかぶる奴では断じてなくて、もっとこう普通の、日常的なアンフォーマルなやつ。
だけどおじさんのは個性的で、頭のセンターラインを前から後へ貫く形で、肌色の地肌というか、地ズラがもろに見えている。分かりやすく言うと、ちょうどモヒカンの毛のある部分が、毛のない感じ。しかも、全体的に浮いてるし。
(ソレ、役に立ってないよ。全然、役に立ってないよ、ソレ、、、)
と思った僕だけど、そこではたと気づいた。
これだと、これなのだと!
もう、ズラとしてはなんの役にも立たないし、一見して不必要にしか見えない。でもそんなこと、とっくにおじさん本人が分かっているのだ。けれど、それを知りながらも敢えてこの込み合った電車の中で使用する。そんなおじさんの心意気。
普通なら常識に縛られて、怯んでしまうところだけれど、そこで一歩前に出る。たとえ打たれてもいいさと、その個性を主張する勇気、踏み出す覚悟。それらが合わさって、このズラには新たな価値が生まれている。まさに、芸術というべき価値が。
結局、小難しい理屈なんかじゃない。美とは単純にすごいと思えるかどうかなのだ。まさにこれこそが芸術、これこそ立派な現代アートだ!!!
(おじさん、、、あんたには負けたよ。表面的な見てくれの美にばかり気を取られて、真の美、本当の芸術というものがまったく分かっていなかった。小手先の芸術論を語りながら、その本質を捉えられていなかった。完全に、僕の完敗だ。)
そう思う僕の横の席で、小さな女の子がポツリと一言。
「お母さん、あのおじさんの頭ヘンだよ。」
、、、芸術の秋ですね。
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「どんだけ~!!」
そう、深刻なことでもないと思いますよ。
「どんだけ~!!」
ええ、あまりお気になさらずに。むしろこういう時期もあるんだと。暖かい眼、広い心で現実を捉えることが重要です。
「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」
こういうケースは大抵の場合、一時の気の迷いなんです。多くの人は、自分の中で自然と気持ちの整理がついて来て、症状としては次第に落ち着いて行くもんですから。
「どんだけ~!!」
「どんだけ~!!」
「どんだけ~!!」
大切なのは、むしろそんな自分を否定しよう、無理やり止めようとすること。気持ちを抑圧するのはいけません。これじゃあダメだ、自分はダメ人間なんだと、自己嫌悪の元になるようなプレッシャーをかけるのが、実は一番良くないんです。
「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」
あまりお気を落とさずに。お仕事なんかで疲れていると、ままそういう時もありますよ。自分のことだと人は神経質に捉えがちですけど、そんなの他の人から見たら些細なこと多いんです。むしろ積極的に、これを個性の一つと捉えてもいいかもしれませんね。十人十色、蓼食う虫も好き好きという奴ですか。
「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」
そうですって。別に、人畜無害なんです。特に誰かに迷惑をかけるだとか、どこかに被害者が出るなんて言うわけでもありませんからね。それに、あなたも、それ程レアなケースではないと思いますよ。誰にでもあることなんです。
「どんだけ~??」
、、、え、私、、、私はこれまで生きてきた中でそんなことはないんですけど、、、でもそういう人もいると思います。ええ。よくいますって。その辺にもりもりいます。
「どんだけ~??」
、、ま、まあ、確かに私の家族や友人達の中にもそのような者はいないですけど、、、
「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」
「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」「どんだけ~!!」
、、、、、
「どんだけ~!!」と言っているIKKOを見ていたら、ちょっとキュンと来てしまった自分が、どうにもこうにも許せない件。
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「こりゃあ、100%遅刻だな。」と吹っ切れてしまい、ぼーっと特ダネを見ていたら、今や、携帯小説が流行っているらしい。年頃の女子中高生の間では、携帯小説が熱い。
そう、時代は”恋空”なのだ。
断片的な情報を元にストーリーを想像すると、等身大の主人公に、恋あり、自殺未遂あり、レイプやら、シンナーやら、癌やら、妊娠やら、不幸がてんこ盛りでやって来て、もう超大変という話らしい。
あらすじを聞いただけで、僕はそんな凹みそうな話はさっぱり読む気にならないけれど、手軽にヒロイン願望を満たしてくれるという意味で女子中高生に人気があるというのは分かる気がする。本を読むことによる疑似体験という意味で。
高尚な文学作品に出てくるような、難解過ぎて何考えてるのかさっぱりわからず、さっぱり感情移入もできないし、そもそも感情移入したくもない、そんな精神病気味の主人公なんかより、娯楽的な意味ではずっと王道なのかもしれないな。
だから必要なのは話全体の整合性、現実性だとか、文学的な表現力ではなくて、読む人が共感して感情移入できる等身大の主人公に、分かりやすい文章と、自分が現実には体験できない程のひたすらにドラマチックな急展開。本の中のどんな不幸も、実際に自分がそんな目に合うわけではないのだ。
こういうところはやっぱり、女の子の方がリアリストだと思う。”世界を救う為に、人知れず日々戦ったり”している男の中二病よりは。
そんなことを思っていたら、テレビの中でピーコが一刀両断に一言。
「こんなの読んでいる人に言いたいのは、あなたたちの生きているこの現実社会の方がずっと残酷ってことよね。」
、、
、、、こんな時間になっちゃったのは仕方がない、仕事に行くとしようか。
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まだ年末というには少し早いけれど、ひたひたと今年の終わりが忍び寄ってくる今日この頃。何かと慌しい季節になって来ますよね。
僕の職場でもみなさんそれなりに忙しそうで。前回書いた事務のお姉さんも、最近やけに忙しそうなのです。まるで時間を惜しむように、過ぎ行く今年を慈しむかのように、廊下で僕とすれ違う時なんかほとんど駆け足だからね。時間に追われているんだな現代人って奴は。はたまた、働く女性の間で流行ってんのかな、競歩。モテ子は競歩?
目線を外しながら歩くのが競歩の正式ルールなのかはとんと知らないけど、、、
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女性は褒めるといいらしい。
、、、
今に始まったことではないけれど、最近ほら、ほとんど人と話してないじゃない。インド人も超超びっくりな程、僕の日常には会話のキャッチボールがないのですよ。僕も年頃を通り過ぎつつある男子なのに、異性どころか、同姓ともほとんどない。
初めて「ママ」と喋った幼きあの日以来、「今まで生きてきた中で、ここ最近が一番喋っていない!!」と言いきれるもんね。こうしてインターネットで全世界に発信できるほどに、自信が確信に変っている。
まあでも、女性だとか、ホモサピエンスだとか、そんな性別やら種やらを限定さえしなければ。そりゃあ僕だって、自分の部屋に出没するフナムシみたいな虫なんかとは、休日にハートウォーミングなトークを繰り広げたりもするのだけれど、、、なんていうか、ちょっとジャンルが違うじゃない。それに、結構彼シャイだから、すぐ隠れちゃうしね。
ちなみにこの丘フナムシ(僕命名)、僕の部屋の居心地が良いらしくて、最近もりもりと増殖中。そんな人工爆発問題が、彼らと僕との蜜月にも暗い影を落とし始めているのだけど、それはまた別の話。
ともかく、少しは類人猿より上の動物ぐらいと、できれば妙齢のメスと話した方が良いのではないかと思ったのです。まあ、野良サルとか野良ゴリラとか本物は近所にいないから、やっぱり、ホモサピエンスしかないな。
で、とりあえずリハビリだ。メスと話す練習だ、って思った。
ここでその辺りのダメ人間なら、大きな壁に遭遇するのでしょうね。「何を話して良いのか分からない」だとか、「普通の人に通じる話題の引き出しがない。」などと想い悩むものだ。その挙句、「自分らしさで勝負!」などという結論にいたった日には、誰にも分からない鉄人28号のかっこよさについて、飲み会の席で熱く語るなどという、そのダメっぷりを如何なく発揮してしまうので注意が必要です。鉄人28号の話、酒が入っていても分かるぐらい女子にドン引きされるね。、、されるらしいのですよ、聞くところによると。
でも、僕は違う。
なんと言っても、今はIT技術、インフォメーションテクノロジー技術の時代。それらを駆使した僕は、「とりあえず、女性は褒めるといいらしい。」「褒められてうれしくない女子はいない。」というとっておきの秘密情報を、インターネット技術によって既に入手済みなのです。こちらからただ球を投げればいいのです。しかもこの球はデットボールにはならない。相手が興味がないとか、そんなことはないのです。ただ褒めてるだけなんだから。
で、その褒められて嬉しい気持ちが、この人と話しているとなんだか嬉しいになって、最終的にはこの人のこと好きなのかも?みたいな具合に頭の中で変換されるんだろ。これは楽勝だね。圧倒的じゃないか、我が軍は。
「よし、あとは実践あるのみだ。」
そんなわけで、昼間、廊下ですれ違った事務のお姉さん(かなりかわいい)を褒めてみることにした。とりあえずタモさんもよく使っているし、髪型辺りが無難そうだよな。後は、キンキラの首飾りしてるから、そこのとこも褒めておくか。素早く見極め、話しかける。
「あ!髪の毛切ったんですね?似合います。」
「、、き、切ってないですけど。」
、、、
「、、、(負けるな。)、首もきらきらっですね。美輪明宏みたいです。」
「、、ど、どうも、、 あの、それじゃあ用事があるので。」
僕をその場に残して、”それもう走ってんじゃねーの””競歩の試合中なんじゃねーの”という程、尋常じゃない早さで立ち去るお姉さん。
うん、なんか違うみたいね。
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ハロウィンだったそうですね。
いつの間にやら当然のように普及し始めている、舶来のハロウィンというものが一体全体何の日なのか?お化けに仮装する意味だとか、あのカボチャの由来だとかさっぱり分からない。
そこには何か宗教的に深い意味があるようであり、そんなのただの理由付けに過ぎないようでもある。まったくもって何者なのだ、ハロウィン。
現時点で、僕に分かっていることはだだ1つだけ。でも、これだけは自信を持って言える。確信を持って断言できる。
ハロウィンなんて、そんなの関係ねー!!
(僕には)そんなの関係ねー!!
(僕には)そんなの関係ねー!!
(僕には)そんなの関係ねー!!
みんなカボチャに喰われればいい。
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しきっぱなしの布団の横に、フナムシみたいな虫が出た。
僕「今日は、君としか話してないな。ご機嫌どうだい、フナムシ君。」
虫「カサカサカサ。」
、、、いろいろと考え直す必要がある。
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夜、帰宅すると、隣の部屋に住む女の泣き声が聞こえる。それは、つい最近まで聞こえていた、カップルのカップルによるカップルの為の野生のアンサンブル(ファ●ク)ではなく、世の悲しみを歌った彼女のソロパート。だけど、そこにシクシクという女々しい感じは全然なくって、オウオウという逞しくて男らしいまでのシャウト。魂の叫びを振り絞った感じだ。これで二日連続、この世界は悲しみに満ちているもんね。
、、うるさいと言ってもいい?壁でも叩くべき?
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ブブーン。
寂れた夜の一本道。薄暗い灯りの下、目の前を一台のトラックが。サスペンションを軋ませ、車体を上下に揺らしながら、猛スピードで走り抜ける。響くエンジンの音。ぼーっと走り去る後姿を見ていたら、荷台のお尻の角が上下にぷりぷりと揺れて、、なかなかいいかも。
トラックのお尻の角フェチ。新ジャンルではある。
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腹が減った。なんだか無性に腹が減った。部屋の電気を消して、布団に横たわると、まるで其所に待ち構えていたかのような猛烈な空腹感。でも今、この部屋にある食い物、味噌ぐらいだ。そんな主の苦悩をよそに、枕元のテレビの中では、カンガルーの蒸し焼きを作成中。葉っぱに包まれて真っ黒コゲの炭みたいになったカンガルー、干からびた鬼のミイラみたいなその肉に、アボリジニーのおっさんがむしゃぶりついている。
う、うまそうだな、おっさん。いいな、カンガルー。やっぱ、カンガルーですよね。
、、素直にコンビニに行くとしよう。
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夏が終わり、突然の秋なのですね。
なんだか急に寒い。セミの声が無性に恋しくなる今日この頃。雨に降られ、駅前を自転車で通過する僕。こんな日は、駅前のロータリーに人もまばら。
そんな駅の外れ、人気のない広場に、半袖の白いTシャツ、薄ミドリ色の短パンをはいた白人が、ぽつんと一人で立っているのを見た。傘もささない彼。その虚ろな瞳は灰色の空を見上げ、自然にウェーブした金髪は雨に濡れて、べったりと額に貼り付いている。
きっと、どこか僕の知らない異国からやって来た彼は、ここで雨に濡れながら、大切な何か、もう失われてしまった何かを探しているのかもしれないな。
彼の探し物が何なのか、僕にはそれを知る由もないけれど、きっとそれは見つけにくいものであるのに違いない。人は誰でも幸せ探す旅人のようなものだから、希望の星に巡り会うまで彼も歩き続けるのだろう。
そんな彼の濡れたTシャツ、その背中には黒い字で、
「新撰組 誠」って。
彼に、”小さな幸せ”が見つかると良いと思った。
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満月だ、ああ満月だ、満月だ、しね(ひだる、心の俳句より)。
理性と知性を合わせ持つ僕達人間も、一皮剥けば、所詮動物の一種類に過ぎない。どんなに着飾ってみても、どんなに取り繕ってみても、その心の中には野生の血が流れているのだ。
それは、夜空の明るさからなのか、はたまた肥大した重力の故なのか、満月の夜は妙に、目が冴えて困る。僕らがジャングルにいた頃の野生の血が騒いで困る。理性的には、明日の仕事のためにも今すぐ寝るべき、それは重々分かっているのに、なんだか寝つけない夜。まあ、たまにはこんな日もあるさ。本能と理性がぶつかるこんな満月の夜も。
まあ、寝つけない最大の原因は、隣の部屋から聞こえてくる、マゴウコトナキ野生のあの声なのだけどな。隣のカップルしね。
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「想定外でした。」
災害が起こるたびに、しばしば聞かれるこのフレーズ。起こった事故に対して、「これは人災じゃない。天災なんだ。予想外のことが起きたんだから、しょうがなかったんだ。」そんな言い訳を込めて多様されるこのフレーズ。
たしかに、僕達人間に予測できることなんてたかがしれていて、未来に何が起きるかは分からない。結果がすべて分かっているなら、そんな世界に何の価値があるのだろう。
もし、生まれた瞬間に既に人の運命があらかじめ決まっていて、「この子は、将来の内閣総理大臣。」「この子は、天才科学者で、この子は、25才でハリウッド映画の主演俳優になる。」「この子は、F1ドライバー。百年に一度の逸材だな。」「これ、ひきオタ。」「この子は、連続安打記録を更新するすごい野球選手。」
、、、はい、釈然としないですよね。
脱線したけど何を言いたいのかというと、つまり未来は決まっていないけれど、その一方で、それに対して備える姿勢は大切だろう、ということなのです。個人の人生設計のようなものから、国のレベルでの災害対策や、今後の地球の環境問題、日本の高齢化問題まで。
まあ個人のレベルなら、行き当たりばったりでも自己責任でいいのだろうけど、人が集まり集団が大きくなればなる程、そういったことが重要になってくる。予想できる範囲で未来を予想し、出来うる限りの対策を立てる。でも当然、未来の多くは不確定要素なわけだから、その対策と現実とにはずれが生じてくる。そんな時は、現実の変化を再び考慮して、対策を立て直す。
「戦いが始まるまで、そこに到るまでのプロセスで既に勝敗はあらかた決まっている。」という奴で、物事に対する策、つまり対策というのは、いざ事件が起きた時ではなく、あらかじめ立てておくことに大きな意味がある。なんといっても、人が他の動物と違うのは、この将来を予想して行動するという能力が優れている点なのだと思うのです。だって、サル山のサルとか、
「この動物園経営難らしいぜ。来年には、つぶれるかもって。」「まじ。やばくねー。最近客少ないもんな。なんかエサも最近すくねーし。」「これから、どうしようか。」「なんとか対策たてねーとな。」「そうだな。芸でも練習するか?」
とか有りえないわけですよ。奴らは、そんなこと考えて生きてない。
つまりは、未来に対して対策を立てるからこそ、人は人である。そう、誤解を恐れずに言うならば、「人が生きるということは、日々刻々と変化する現実に対して対策を立てることなのだ。」、ドーン!!
、、、
ふとそんなことを思った。
町内会の掲示板にマジックで書かれた文字を見ながら、そんなことを思った。
「カッパ対策」
、、、対策、重要。
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人生は小説みたいなもの、何が起きるかわからない。
というわけで、前回に続いて小説風に更新してみた。
=登場人物の紹介=
<マスター>
BARドリームランドのマスター。自分の本当にしたいこと、人に心から喜ばれること。一度きりの人生なのだから、自分が誇りに思えるような、そんな仕事がしたい。そう思い立って一念発起、40代で脱サラして現職に。本人は認めたがらないが、生粋のロマンティスト。 、、という設定だけど、実はリストラ組。性格は大雑把で、料理もカクテルもフィーリングで。「男ってのはいつまでたっても、子供みたいなもんさ。夢がないと生きられない。」が口癖。そういえば、最近ファジーって聞かないよな。
<僕>
僕。「ゼルダは深夜に帰宅してからやるので、マイクに向かって叫ばされるのはつらい。親方に怒られる。任天堂もそこのところは考えて欲しい。」が最近の口癖。
=これまでのあらすじ=
なし。
=本編=
夜の帳が街を覆い、ネオンサインが瞬き出す。残暑の生暖かい風が、じとじとと肌にまとわりつくようで、汗が噴出してくる。漂ってくる焼肉の匂い、へたくそな演歌。路地裏の生ゴミにたかる虫達。でも、そんなこの街の雰囲気、嫌いじゃない。
そんな繁華街の一角。地下に下りる階段があって、その横には、電球の切れかけた看板が申し訳程度に、置かれている。
『BARドリームランド』
ここがオレの店だ。都会に生きる大人達が、一夜の夢を求めて、はたまたその傷ついた翼を休める為に、今日もオレの店に集い、そして語り合う。ここはそんな都会のオアシス。
くそったれな機械文明と資本主義が発達したこの現代社会、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、人は傷つくことなしには生きられない。でも、傷ついた心を癒さなければ、人は前には進めない。
今宵も、そんな迷い人達がネオンの明かりに惹かれ、この街に集まってくる。互いの孤独を癒す為、つらい現実を忘れる為、快楽の為、理由はいろいろあるけれど、結局、互いの心の傷を舐め合い、そして酒を飲む。そんな人々の群れを、毎晩のように見ていると、時々思うんだ。オレ達人間も、結局、夜の光に群れる虫けらから、そんなに進化していないんじゃないか、、、ってさ。
マスター「客、こねえなあ。 、、閉めるか。」
この街の夜は、今日もこうして更けていくのでした。おしまい。
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=登場人物の紹介=
<高砂親方>
アパートの僕の隣の部屋に住む。高砂親方似のあんこ型で、押し相撲には抜群の強さを発揮する。その反面、性格は意外と繊細な一面も。得意料理は、たぶんちゃんこ。ちなみに、オンナ(20代)。
<ヤサオトコ>
高砂親方の彼氏(30代前半)。すこし茶色に染めたサラサラヘアーが、チャームポイント。パスタとか作らしたらなかなかの腕前っぽい。
<マスター>
BARドリームランドのマスター。昔から高砂親方の良き理解者で、親方を実の娘の様に思っている。性格はわりと大雑把。カクテルとかはフィーリングで。
<朝青龍>
横綱。モンゴルで病気療養中。たぶん。
<僕>
僕。
=これまでのあらすじ=
ずっと空き部屋だった僕の隣に、突然越して来た高砂親方(女性)。引越しの時に見かけたその彼氏は、スラリとした男前のヤサオトコだった。僕の驚きをよそに、重そうな段ボール箱を高砂部屋(僕の隣の部屋)に、軽々と運び込むヤサオトコ。男らしく、しかもすごく爽やかだ。これは、あれか?でぶせんという奴なのだろうか?まあ、そんなことはどうでもいいよね、今日も今日とてゼルダを続ける僕なのだったが、、
=本編=
ドーン(柱につっぱりしたような音)。
突然に静寂は破られる。リンクとの大冒険から、強制的に現実世界に意識を引き戻される僕。一体、何が起こっているのだ?隣室より、それに続く叫び声。
「もう、出て行ってよ。」「うるせえなあ。」
(この声は親方、、それにヤサオトコ、あの爽やかなヤサオトコなのか?)
そんな僕の困惑をよそに、二人の言い争いはたちまちエスカレーション。
「いいから、早く出て行って。」「ぶっ殺すぞ、コラ。」「今すぐ、出て行け!」「ああ、出てってやるよ。こんなとこ。」
「キー!!」
バターン(ドアの閉まる音)。
ビエーン!!(号泣する高砂親方)
、、、隣の稽古、激しすぎる。
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一般的に言えば今さらなのだろうけれど、『ゼルダの伝説無限の砂時計』がやりたいのでDS Liteを買いました。
やっぱゼルダの主人公ことリンクは、マリオと並んで僕の中では2大ゲームヒーローなわけで、是非おさえてはおきたいところ。しかも、DSのタッチペンを使ってリンクをどんな風に動かせるのか、これはもうやってみるしかないじゃないですか。たとえるなら、はじめてエロ雑誌を買った中学生がオナニーに初挑戦するぐらいやってみるしかない。まずはとりあえず挑戦だ。グラフィックはDSだからまあこんなもんかなあ、とも思うけれど、ゲームの面白さはグラフィックだけじゃない。なんといってもキャラクターに思い入れがあると、それだけでワクワク感が違うよね。
で、早速家に帰って、冒険の旅へ出発!!
友達を救う為に未知の大地へと冒険の旅にでるリンク、一方、いい年して一人、家で引きこもりの旅に出る僕。そのコントラストが素敵だよね。
早速プレーしてみると、十字キーじゃなくてペンで操作するところに、微妙な違和感はあるのだけれど、これはこれで面白いかも。すぐに思い通りに動かないところが、こちらのゲーム魂をくすぐる。ゼルダのようなビックタイトルにはクソゲーではないだろうという安心感があるから、たとえ最初にちょっとズレを感じても、それを修正するまでこちらもプレーするじゃない。これがもし、バンゲリングベイ2とか、一揆3とかだったら、あきらかに放り出してしまいそうなところだれど、ゼルダだからそんなことはない。だから、たぶん作る側でも思いきった作りにできるのだと思うし、慣れてしまえばその操作の妙が面白かったりするもんだ。などと思いながら遊んでいたのだけれど、、、
なんだかさ、なんだかへんなんだよね。
妙にリンクが生き生きとしている。生き生きとし過ぎている。
ゲームの主人公ってのは、現実には体験できないようなことを、僕らがゲームを通して体験する為のいわば分身みたいなもんだから、通常は、こちらの操作したとおりに動くコマとしての役割が求められるのだと思う。右のキーを押したら右に行く。左のキーを押したら左に行く、そんな忠実な人形。
だけど、DSのこのリンクはまるで違っていて、店に入ったら「僕が欲しいのはこれだ。」とばかりに自己主張して勝手にアイテムを買ってみたり、町の人に話しかけようとしても、「今はそれよりこちだ!」と反対方向に向いてみたり、剣を振ろうとしても「弱いものいじめ、かっこ悪い。」とばかりに微動だにしなかったり。
これには僕も驚愕した。まさに、そのコペルニクス的発想の転換に度肝を抜かれた。言うなれば、いままでのゲームの概念、単なる僕らの分身でしかないゲームの主人公という概念を越えて、これはまるでリンクが自らの意志を持って動いているかのようだ!その発想はなかった。すげー、すげーよ任天堂!!
、
、、
、、、
、、、、僕のDS、タッチパネルの接触不良の線も、、、
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電車の床で、体育座り。
、、、
ほぼ1ヶ月ぶりで、電車に乗った。そうなのです。日本が世界に誇るスーパートレイン、新幹線に乗ったのですよ、僕は。羨ましがられるかもしれないけど、乗ってしまった。N700系ではないのだけれど、、、。
すごいと思うんだよね。開通以来、大きな事故を起こしたことがないというその安全性。高速でありながらも、几帳面過ぎる、窓際社員の勤務時間のごとき時間への正確さ。そして、揺れを最小限に抑えた、その快適な乗り心地。これらを世界最高レベルで、同時に実現しているところが、新幹線の凄みであり、日本人として誇りに思うよ、僕は。まさに、現在も進行形のプロジェクトXですよね。
で、
DS liteを買おうかなどうしようかな、色は何がいいかな?でも、買ってもはまる時間が今はないよな。でも、新幹線の中でやればいいか。なんと言っても、ファミっ子の僕としては、ゼルダには後ろ髪引かれるし、、。そうそう、ゼルダといえば、最初のファミコンのゼルダをプレーしてた時、ディスクシステムの作動中、リジェクトボタン押しやがった弟に覚えたのが、多分、人生最初の殺意という奴だったんだろうな。ポルスボイスとか懐かしいよな。2コンのマイクで叫ぶとやられるんだったよな、、、
などと僕が、ビックカメラで今年最大の葛藤を繰り返しているその間に、「もう雨が降りすぎちゃったから、ムリムリ。」と、まさにハメハメハ大王のような、そんな漢らしい程の、狂おしい程の潔さであっさりかつ毅然と新幹線停止。改札をくぐった僕が見たのは、ピタリと駅で停止した新幹線で。動かない新幹線なんて、、、
そこからがものすごく長い。このブログぐらいだらだらと長い。
延々ひたすらアナウンスが繰り返されて、
「間もなく、運行再開の予定です。」「しばらくお待ちください。」
間もなくってどういう意味だよと。まるで、TBSのスポーツ中継のように『間もなく』と『しばらく』に挟まれながら、込み合った新幹線の通路に体育座りした僕は、しょんぼりとブログを書くしかないのでした。ここ空いてると思ったら便所の横だもんな。でも、男らしく座ってやったね。地上で、エコノミークラス症候群とかなりかねない感じだった。
列車の運行について、僕に出来ることは何もなくて、ただただ座っているだけだけど、黙って座っているだけだと思ったら大間違いだぞ。そうだ、インターネットを通じて全世界に発信してやる。動かない新幹線など、ただの豚だと力強く発信してやるのだ。とりあえず、JRにこれだけは言っておきたい。言わずにはいられない。
横のデブが明らかに臭い。
トイレの横に座り込むような人々だから、僕の周りはちょっとアレな、あまりお洒落などに気を使わないような、フリーダムな人々のスーパーマーケットみたいになってはいるのだけれど、右のこの人は視覚だけじゃなくて、嗅覚を通じても僕に精神攻撃を仕掛けてくるからね。確実に異臭騒ぎみたいになっている。近所にとんこつが売りのラーメン屋があるんだけれど、そこのスープを作る寸胴の前みたいな匂いがする。新手の使徒ブタエルか、って思ったもん。動かないと豚どころか、こっちは動いても豚だ。
一方、ブタエルの逆側ではおばさんが足で追い立てるから、シャカシャカと黒い昆虫タイプの使徒、まあ分かりやすく言えば、一般的な名称で言うところのゴキブリがこちらにゴソゴソと寄り添って来る。だから、僕も足をシャカシャカと振る。
シャカシャカ、ゴソゴソ、シャカシャカ、ゴソゴソ、シャカシャカ、ゴソゴソ、
僕とおばさんの果てしない戦い。おばさんなかなかやるな。まったくゴキブリに動じてない。目線を向けずに足の動きだけで、ゴキブリをこちらに誘導してくるなんて!褒めてやるよ。僕をここまで苦しめたのは、あんたが始めてだよ。たぶんこの勝負、長い戦いになる。先に心が折れた方が負ける。そうだ、絶対に負けられない戦いがあるんだ。
、、って、全然休まらないんですけど。
僕はただただ体育座りをしながら、それでもたえずシャカシャカと足を揺らして震えているのでした。JRのみなさん、こんな悲劇を繰り返さない為にも、今後の車両開発においては、この辺りの問題も科学技術でなんとかして欲しいと思います。
っていうか、バルサンたけよ。後、デブエル離れろ。
結局、DS liteは買ってません。
そんなとこ。
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山?富士? 、、、一体何のことですか?
トンとさっぱり。
夏も終わりですか、、そうですか。
久しぶりの更新ついでに、
これはまったくもって、僕の友人のことなのですけど、、、
久しぶりに女の子と映画に行ったら、それ以降連絡がつきません。
もう、帰り道でどこかの独裁国家に拉致されちゃったんじゃなかろうかと言う程に、まったく連絡がつかないのです、、酷いと思いませんか?映画についてあんなにいろいろと、熱く語ってあげたのに、、なんでだろ。
いえいえ、まったく僕のことではないですけどね、、ええ。勘違いしないで下さいよ。
、、、そうですか。逃げちゃダだめ?逃げちゃだめですか?
それとも、チョイスがダメですか?
、、、、
隣の部屋には、高砂親方(元朝潮関)みたいな女性が引っ越してきました。
もう秋ですよね。
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「饅頭屋じゃないっての!!」
沸き上がる殺意。「元祖七合目」その言葉が僕を打ちのめす。さっきの所は「七合目」。今度のところは「元祖七合目」。どんだけ七合目好きなんだよ。「七合目は家だ!」「いやいや、そっちよりこちらの方が早くから名乗ってますから。」「馬鹿なことを言うな。家は、先々代から七合目でやってるんだ。」「ちょっと待て、その前からこっちが、、、」
、、いらないよ、そんな七合目争い。そんなに七合目に需要ないよ。
夜景やら、満天の星空やら、なぜだか登山している自分やらが楽しかったのは、ホントに最初だけで。息切れするたびに、5合目で食べたカレーうどん(800円)は戻って来るし、寒いやら、汗だくで暑いやら(プライスレス)。
引き返す勇気。そんな言葉が沸き上がる。
それにしても、どこだここは。

絶望的な思いで見下ろした麓の町の夜景。写真の写りも絶望的。
次が「真七合目」だったら帰ろう。そう心に誓う。
(つづき。)
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夏休みどうしようかな、、、、
飲みに行く位しかとくに用事もないよなあ。「もう、いっそのこと、家から一歩も出ないでも生活できるのか、試してみようか?」などとも思ったのだけど、そんなのはダメ人間のすることじゃないですか。今日日、幼稚園児だって「アメリカに行って来たの。」なんて空港でインタビューに答えていたりするのを見るし、逆に休みたくても休めない人も世の中にはいるわけで、この休日を有意義に過ごしたい。やっぱり夏休みらしい経験がしたいよね。いつもの日常ではない、なんだか特別なこと、この夏の思い出みたいのが欲しいものだ。そんなことをぼんやりと考えている内に思いついたのは、
、、、富士山でも登ってみようか、、
夕方、飲みに行く約束があったので、とりあえずリュックに雨合羽と長袖のセーターみたいのを突っ込んで家を出る。その日はそのまま知り合いの家に宿泊。
翌日、明らかに二日酔いの頭をさすりながら、新幹線の切符売り場へ。
「帰宅する途中だしな、行っちゃいますか、富士山。」
まあ、どこが最寄かもよくわからないけど、とりあえず新富士駅というのがあるわけで。やっぱ、ここだよな。富士山の最寄り駅。ノープランで切符を購入する。
んで、
新富士駅着。一応、山は見える。あれがたぶん富士山なんだよな?でも、ここ新富士駅は、新幹線のみしか通っていない、いかにも政治の力でできたような駅で、ここからあの山まで歩いていくのはありえない。明らかに明日までかかってもつかないぞこれは。
駅の脇にある『富士駅はこちら→』の看板を発見。しょうがないから、そこから富士駅まで真夏の炎天下を歩く。噴出す汗、うるさいセミの声。早くも帰りたくなるけど、帰る方向ももうよくわからない。途中、知らない人に「すいませんが、JRの駅はどこですか?」などと聞かれるけど、聞きたいのはこちらだ、どこだよここ。30分ぐらいふらふらして、ようやくJR富士駅に着。山は相変わらずすごく遠い。
ここで、いかにもそれっぽいリュックの人を見つけたので、「これは登山客だ。」と着いていくことに。身延線の富士宮駅で下車(20分ぐらい)。バスで新五合目へ(1時間ちょい)。意外と知らなくても、誰にも、グーグル先生にも聞かなくても着いちゃうもんだな。なんとかだけど、、。ちなみに、乗ったバスはベトナムからの観光客が9割で、とても日本国内とは思えなかった。「OH、、栄hdhkじぇっじおhじおっほっひえええ、、-」ベトナム人のテンションおそるべし。バスの中から頂上を見上げ、意外と近いじゃない。楽勝じゃない。そんなことを思っていた。この時はまだ。
*ちなみに、新富士駅からもバス一本で新五合目まで行けるんだけど、それを知るのは先の話。
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その扉は、突然に閉まった。
そこはまさに境界線上で、その扉がいつか閉まることはある意味必然であったのかもしれないけれど、そのあまりにリアルな現実は、僕を激しく打ちのめした。そんなこと想像もしなかった。まるでこの世のすべて、生きとしいけるすべての者を憎み、そして拒絶するかのようなその古ぼけた木の扉に。
目の前にそびえる扉はまだ完全に閉じてしまったわけではなくて、そこにいくばくかの隙間が残ってはいたけれど、そのことはその時に僕にとって、救いにはならなかった。むしろわずかに開いた隙間から差し込む光が、内と外とのコントラストを明確にして、余計に絶望感が深くなっただけだ。僕はその内側でしゃがみこんだ。
分かっていたはずだ。生きることは苦難を背負って歩くことで、それは苦しみを受け入れることだと。所詮、希望など存在しないのだ。そうそんなものは、すべて人間の願望や欲望、それらが生み出した妄想に過ぎない。そんな冷たい現実。
どこかで必死に忘れよう捨て去ろうとしたものをつきつけるかのように、僕の体はジンジンと痛んだ。
そう、これが僕の現実だ。
薄暗く狭い部屋の中で、僕はただただうずくまって。ただただその痛みに耐えるしかなかった。張り裂けそうな、絶望の海の中で。
、、、
つまり、
便所の扉がバーン。
僕の指もバーン。
すごい痛みでガーン。
、、、夏だね。
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夏休みどうしようかな、、、、
、、
「家から一歩も出ないでも生活できるのか、試してみよう。」
などと思い始めてる自分が怖い。
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ザー!ひゃあー!
気だるい夏の昼下がり、事件は起こった。職場にて、昼食後の猛烈な眠気に襲われた僕は、机の前でうつらうつらと夏のアンニュイな午後を満喫していたのだけど。ほら、あんまりそんなことやってると、夏休みどころか、「僕はね、仕事がずっと休みなの。」みたいなことに成りかねないじゃない。前の職場を辞めた理由が、”昼寝で解雇”とかなったら、どんだけダメ人間なんだよと。そんなわけで、仕事している風を装う為にも、とりあえず眠気ざましにトイレに行った。いそいそとチャックを下げ、オシッコをしようとする僕に、その悲劇は訪れたのだ。
ザー!ひゃあー!
便器に向かって至高の一時へ。「さあ、これからするぞ」と、社会の窓を開き、トランクスを掴んだ途端、縦にザー!って。トランクスが縦にザー!って。
、、、トランクス裂けた。
たぶん、旧約聖書の出エジプト記で海を割った、あのモーゼだって、ここまで鮮やかではなかったと思う。こうもいきなりではなかったと思う。おそらくクライマックスを前に、いろいろと前フリがあったと思うのですよ。
祈っても目の前の海はなかなか割れなくって、引き連れて来てやった民衆共は周りで騒ぎ出すし、彼らを追うエジプト軍はどんどん背後に迫って来る。もう明らかにヤバイ。「この海が本当に割れるのかよ。大丈夫か俺。」モーゼ、大ピンチ。
周りの人達も、そんな彼の心の葛藤を見抜いたかのように「お前、本当に割れるのかよ。海だぜ海。」「苦し紛れに、適当言ってんじゃないの。じいさん。」「とっとと割れ。いいから割れよ。」「ムリムリ。割れっこないだろ、常識的に考えて。」
その横では、近所のボケたじいさんが、何を思ったか急に卵を割り始めたりして。「割れたぞ、皆の衆見ろ。ワシが割ったんじゃ。ワシがこの卵を割ったんじゃ。」「ハイハイ、おじいちゃん分かりましたから、こっちで静かにしていましょうね。」「みつ子さん、見てくれ、わしが鮮やかに割ってやったんじゃ。アレキサンドリアの暴れん坊といわれたワシの手にかかれば、この卵も見事にこの通りなのじゃ。」「ハイハイ、分かりました、分かりました。すごいですね。」
民衆の刺す様な視線と、彼に対する否定的な意見の中で、信仰が揺らぎかかるモーゼ。「いや、信じるんだ、神を。そして自分の信仰心を。」挫けそうになる心を必死に奮い立たせ、神様にただただ祈る。無心で、そう子ヒツジの様に無心で。神は疑いの心を持たず、純粋にその存在を信じ、その教えを守る者を助けたもうのだ。
瞑想が深みに到ると共に、周りの喧騒は自然と遠ざかり、自己の精神の海の中でただただ偉大なる主にその身を捧げるモーゼ。自己の損得など関係なく、ただただ主に帰依する。その気持ちだけで心が満たされた時、奇跡は起こった。
目の前の海が、巨大なその海がついに2つに割れたのだ。
ザー!
「やった、助かった。俺達は助かったぞ。」「よかった。やほーっ!」「行くぞ、新たな土地に。」歓喜に騒ぐ民衆の群れの中で、モーゼは一人静かに神に感謝するのでした。
、、、
で、何の話だっけ?
そうそう、トランクス。だいたいこんな風に苦難やら葛藤やら、いろいろな前フリがあって、それをふまえて劇的なクライマックスがくるものなのに、もう、いきなりですよ。アンニュイな夏の午後、そんな職場のトイレで、僕のトランクスはいきなりザー!。情緒も何もあったもんじゃない。4月に日本シリーズが始まるぐらい、ありえない。
驚いて「ひゃあー!」って言った瞬間、隣のおっさんがぴくっと反応してたけど、あれは明らかに僕が漏らしたと思っているもんな。「こいつ、やりやがったな。」と思っているに違いない。便器の前で、入ってきたばかりの隣の人が「ひゃあー!」なんて言うのは、まずギリギリアウトか、途中で手が外れての大暴走しかないわけで、真昼間からトイレに間に合わずに大惨事なんて、ほんと小学生でもしないよ。
でも、独り言風に、「あーあ、トランクス裂けちゃったな。裂けちゃったな、トランクス。」なんて明らかにいい訳くさい。だいたい普通はトランクスって、そんなに裂けないじゃない。そんな僕の苦難を尻目に、隣のおっさんは出て行ってしまったのでした。便器に向かって動けない僕は、泣く泣くその背中を見送った。
そんなわけで、おしっこする用の本来のスリットの横に、第2のスリットが突如として登場した僕のトランクス。前面に並ぶ2つのスリットのせいで、もうぼろぼろの布切れみたいになってしまったトランクスだけど、ちょっと待て。ここにも何かしらの意味があるのかもしれないぞ。そうだ、ここには、何やら大きな意志の力が働いて、高貴なる存在からのメッセージが込められているに違いないのだ。
そう思うことで、挫けそうになる心を必死に奮い立たせる僕なのでした。この苦難や葛藤の経験が、そしてなによりこの第2のスリットこそが、きっと、これから先に万が一のことがあった時、僕を救ってくれるはず。そうに違いないのだ。良かった2つ目のスリット。ありがとう、そしてこれからもよろしくな、2つのスリット入りトランクス。
で、机に戻って冷静に考えてみたんだけど、万が一のことって?
、、、ちんちんが2本になった時とかかな、、、
家に帰って、トランクス捨てた。
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台風5号(うさぎ)は九州を縦断中。
、、、
「記述は正確に。5号だけじゃなくて、うさぎです。うさぎって、ちゃんと並列表記してもらわないと困りますよ。分かってるんですか?これはねえ、あの台風委員会で決められてるんです。ルールなんですよ、ルール。これでアジアの人々の防災意識が高まるんです。ええ。」「いけてる、うさぎって、いけてるよ。うさぎタン、、ハアハア、、」「あなたは、アジア文化の尊重、相互理解の強化、連帯の強化という、この台風委員会の崇高な目的に異を唱えるつもりですか?」「すごくよくねー。うさぎってかわいくねー。」「そこのとこ、分かってるんですか!!」
なんかいろいろと圧力でもあるのかな?それとも意地?いろいろな人々の思いを乗せて、うさぎは行く。台風は台風だしね。願わくば、該当地方の人に被害が出ませんよう。
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ネットカフェのあのねーちゃん、どうも僕に惚れていると思う。
駅前にあるその店には時々行くのだけれど、結構狭い店なのでだいたいバイトが一人で切り盛りしている。その店で働いているのを時々見かけるねーちゃんが、どうも僕に惚れてしまったようなのです。
その子は、年の頃は20代前半。すこしふくよかな感じで、ぱっちりした眼がとても印象的。少し茶色に染めたロングの髪の毛を、ポニーテールにしていて、それが店の紺のエプロンに割と合っている。僕はどちらかというとスレンダーな感じの方が好きなのだけど、その純朴な感じはなかなかに好感がもてる。
そんなねーちゃん、僕が店に入るとまぶしいぐらいの笑顔なの。入り口のドアを開けると、レジの裏で少し退屈そうにしていたその顔が、瞬間にたちまちぱって輝くの。これはもう確実に惚れられたね。帰り際におつりを渡す時なんかも、じっとこちらの眼を見てちょっとはにかんだりしてるもんな。つぶらなその瞳も、幾分かは潤んでいるように見える。間違いないね。これは絶対、好意持ってるよな。僕もいいとこ見せようと、「つりはいらねーぜ。」とか、言いそうになったもの。160円だけどな。
今、彼女は、僕に会えたその喜びと、緊張、そして自分の気持ちに戸惑っていると思う。「ああ、この人はもう帰ってしまうの。8時間プランにしてくれればいいのに。なんなのこの気持ち。私、恋してしまったのかも、、」
そんな彼女の気持ちの濁流を表すかのように、ねーちゃんの手からおつりの硬貨が僕の手にダイブしてくる。「こ、これ、おつりです。」勢いよくその160円がダイブしてくる。
みなさんも、正月に初詣行ったら、神社のお賽銭箱にお賽銭入れるじゃないですか。一年の願掛けして、「今年もいい年でありますように。世界が平和でありますように。ついでに、素敵な彼氏ができますように。」なんて祈ってお賽銭入れる。
大きな神社なんかに行けば、それこそ境内はアリのごとく人が溢れていて、今こそが商売チャンスといわんばかりに、本殿の前には馬鹿でかい即席の賽銭箱が設けられたりする。身動き出来ないほどの人ごみの中、人々は賽銭箱に向けてお金を投げ入れる。そこに込められた願いや想い、そんな気持ちを込めてお金を投げ入れる。日本では、古来から”あふれ出る気持ちをお金に込めて投げる”そういう伝統があって、これはとても神聖な行為、そう神事といっても過言ではないのです。
ちょうどそんな現象が、今、このネットカフェで起こったのだ。古きよき日本の伝統は生きていた。高みにある彼女の手から、神聖なその気持ち(160円)が、僕の手へとこぼれ落ちてくる。ナイアガラの滝のような落差で流れてくる。たぶん彼女はまだ、僕の手に直接触れる勇気がなかったんだと思うね。「勇気の出ない私の、バカバカ。」ちょっと内気な彼女が、今、精一杯勇気を振り絞った。これがその結果に違いないのだ。「届け、私の想い!」
彼女のこの気持ち(160円)をちゃんと受けとめて上げないと。
危うく手のひらから落ちそうになる10円玉。「やばい、、」咄嗟に反応し、親指の先で硬貨を捕まえて、でも、その焦りをおくびにも出さない僕。超クール。
彼女の瞳を見つめながら、「それじゃ。」その一言だけを残して、僕はその店を出るのでした。
外には湧き上がる入道雲、照りつける日差し、聞こえてくるセミの声、そして流れる汗。来たな夏。僕の夏、来たな、、、
、、、ミーン、ミン、ミン、ミーン、、
、、、ミーン、ミン、ミン、ミーン、、
、、というようにですね、何気ないあなたの日常の行動にも、逞しく妄想を抱く、想像力の豊かな人が世の中にはいるのです。微妙な感じの人と接する時には、ちょっとした行動や、コミニュケーションにも細心の注意が必要だと思いますよ、おねーさん。
なんだか、行動力のないストーカーみたいなことになってきて困る、、
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ワリオに会った。
、、、
数日前のこと、アパート一階の端の部屋から帽子をかぶったヒゲの男が出てくるのと遭遇。
小さくてずんぐりむっくりとした体型に、ピチピチのジーンズ、そして意外とつぶらなその瞳、全体的にあまりにチビマリオなその風貌。マリオといえば、僕にとってはヒーローであり、一緒に戦った友。遠い日、ファミコンのコントローラー越しにマリオと語りあったあの記憶が蘇り、僕は大興奮したのだけど、、違った、違ってた。全然マリオじゃなかった。あんなのは僕の好きだったマリオじゃない。
と言うのもね、こんなことがあったのです。
、、、
先日、またまたそのマリオに会ったのですよ。今度は昼間。家へと歩く僕の横を、原付に乗って猛スピードで走りすぎるマリオ。もじゃもじゃの髪を風になびかせながら爆走するその様は、「Bダッシュなんて、かったりーよな。このくそ暑いのに、自分で走るなんてありえなくない。」と言わんばかりなのです。どんなに崖下に落ちようと、カメに襲われようと、健気に自分の足で走り続けた友の姿はそこにはなかった。しかも、マリオ明らかにノーヘルだしね。
彼の黒い愛車もなんだかF1マシーンみたいなことになっていて、後ろについてるナンバープレートは、空力重視のウイングみたいに上に反り返っているし、そのボディには、ファミコンのドットじゃあとても表現できないような難しい漢字が並んだシールが貼られてた。たぶん彼の所属するチーム名なんだろうと思います。なんのチームか知らないけど、、
まあそんなことを言ってもね、そんな彼の気持ちも分からなくはないのです。僕もね、こう見えても昔は結構やんちゃな時期もあって、その腕はプロ級と言われた程の走り屋。大学時代にドンキー使いの魔術師と呼ばれたもんだ、うん、マリオカート。
ですから、彼の気持ちも分からなくはない。若い時は誰しも無性に走りたくなる時があるし、無軌道にレールを外れて暴走したくなることもあるだろう。僕もマリオカートのショートカットをかなり研究したもんです。留年しそうになったもんね。2Dと3Dとの違いはあれ、共感できる部分はある。
マリオだってきっと根は優しい子で、横断歩道で困っているお婆さんがいたら、おぶってあげたりしているに違いないのです。間違っても置き引きするようなそんな人間じゃない。信じろ、マリオを信じるんだ。
だけど昨日ね、、
僕は、お酒を家で飲んでいた。いい年こいて、土曜日なのに外出もせず、ぽつんと一人で飲酒。そんな風に、とても有意義に大人の休日をエンジョイしていたわけですよ。「やっぱビールだよね、夏は。」そんなことを思いながら、ぐでんぐでんと飲んでいた。で、深夜、お酒がなくなったので、「これは今世紀最大の一大事、すぐに買いに行かねば。ランアンドガンや。」などと、ふらふら出かける僕は、前からマリオがアパートに帰ってくるのとすれ違った。
なんだかマリオ二人で歩いてるの。それもルイージじゃなくて、明らかに女子。すげー美人でスレンダーで、しかもしかもですよ、あろうことか西瓜みたいな巨乳のねーちゃん連れて歩いてるの。ビジュアル的にいうと、チビマリオと科学の力で叶姉妹ばりの巨乳になったピーチ姫みたいな絵になってるの。
えーっ、マリオ!!えーっ、、、
ちっちゃいマリオのモジャモジャ頭は、丁度ねーちゃんの胸辺りにあって、マリオがねーちゃんの腰に腕回して歩いてるもんだから、ゆらゆら揺れるその胸がマリオの顔になんだかぽこぽこ当たってんの。ぽよーん、ぽよーんって。無限1UPみたいなことになってんの。そんな状況なのに、ねーちゃんはなんだかうっとりしてるし、マリオはエロ親父みたいな顔になってる。
そんな様子を見てマジでびっくりする僕に、気づいたマリオはぺこり。なんだか勝者の余裕を感じさせる笑顔でぺこり。
なんなのだろうか、この敗北感は、、
ゲームの世界から抜け出ても、マリオはピーチ姫(巨乳)と愛の大冒険。僕らの冒険は終わらないと言わんばかりに、これから夜の大冒険へ。
時には暴走しながらも、現実の社会生活にしっかりと適応しているマリオと比較して、深夜に一人でふらふらとお酒を買いに行っている自分。お酒だけが友達とか言いかねないぐらいの、ちょっとしたダメ人間ですよ。そんな現実に全然適応できない自分ってなんなのだろうかと、、、、
もう嫌だ、こんな現実、こんなマリオは僕の好きなマリオじゃない。遠い夏の日に、ファミコンのコントローラー越しに一緒に戦った友じゃない。いや、こんなのはワリオだ。マリオのフリをしたワリオに違いない。おのれ、ワリオめ!
僕はもう、現実逃避するしかなくて、
「ジュゲム今がチャンスだ。奴にトゲゾーをお見舞いしてやれ。」「ハンマーブロス、弾幕薄いぞ。もっとハンマーを投げつけろ。」「クッパ、もっと炎を吐け!」
そんな負け犬の遠吠えを胸に秘めたまま、ただただ夜の街へとBダッシュするのでした。
嫌がらせに、冷蔵庫の中で萎びたシイタケを彼の部屋の前に置いてみようかと思ったけど、なんだか怖かったので止めた。
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マリオに会った。
朝遅く、夜遅い。そんな極端にダメっぽい生活を送っているからだと思うのだけど、ここのところアパートで他の人に会うことが極端に少ない。隣の部屋のぬり子さんもいつの間にやら引っ越しているし、、
普通だったら朝のゴミ出しの時とか、夜の帰宅時に廊下や階段なんかでもっとばったり他の部屋の人に会ったりするもんだ。「、あっ、どうも。」「、どうも、、」なんて最初は微妙に挨拶するだけなのだけど、何度か会う内に次第に打ち解けて、天気の話だとか、はたまた職場の愚痴なんかを言い合う仲になるもんだと思う。
逆に互いにあまり知らないからこそ言いやすい、そんな職場での本音みたいなものを言い合ったりして、「部長がひどいんですよ。あいつは、全然、現状ってものが分かっていない。」「それは酷いな。板挟みは大変ですね。」なんて大人の世間話をこなせてこその社会人。
で、話はいつの間にやらエスカレーション。「もうそれはポアだ。うん、僕はポアしかないと思うよ。」「、、で、でも、やっぱり捕まりますからね。ハハハ、、」「いやいや、いいアイディアがある。僕の恋人を奪ったアイツ、あのうんこ野郎とあなたの糞上司、共にトイレに流しちゃいましょう。もう交換ポアってことで。これなら捕まらない。やるしかないよ。やってやろうぜ、交換ポア。」なんていう完全犯罪に対する熱い想いの詰まった会話が、今宵も、日本中のそこここの廊下や階段で繰り広げられるものなのだ。
なのに僕ときたら、ここのところアパートでさっぱり人と会わないから、ポアとか語りあう相手もいないのです。
僕は科学的に物事を考える人間だから、世の中は全て確率論的に出来ていると思う。で、ここまで人に会わないということは、つまりは本当に人がいないということなのではないか。もうこのアパートに人なんていやしないのだ。電気がついているのも情報操作の一環で、もう既にみんなポアされてしまったに違いない。僕の命も狙われているかもしれないぞ。
いやいやその思い込みすら情報操作で、そもそもあのアパートすら僕の妄想の産物に過ぎない可能性も考えられる。
本当のリアル僕が住んでいるのは、公園の植え込み(トイレ横)なのかもしれない。その素材は、中国の肉まんもびっくりの100パーセントダンボール、まごうことなきダンボールハウスで、いわゆる”ひだるの動く城(撤去反対運動中)”。そんな僕がアパートに住む夢を見させられているのかもしれないのだ。そうではないと誰が言い切れるものか?
そんなアレなことを思っていたのだけど、昨日久しぶりにアパートの廊下で人に会った。いやいや、これも情報操作の、、
、、、
深夜、お腹を減らして冷蔵庫を覗いて見るも、あるのは萎びたニンニクにシイタケ、大根。とても喰えたものじゃない。しょうがないから、コンビニに食料と酒でも買いに行こうと、階段を下りる僕。階段を下りきったところで、丁度、アパート一階の端の部屋から帽子をかぶったヒゲの男が出てくるのと遭遇。
まあ正直、どの部屋から出てこようと、はたまた突然アパート横のマンホールの中に消えて行こうと、むさい男なんか僕にとってはどうでもいい。妙齢のかわいエロい女性は、このアパートにいないのか?「私の部屋でなんか食べさせたあげてもあげてもいいよ。つ、ついでに、私も、、」なんて子はいないのか。消えろ、ヒゲ帽子!
と思ったのだけど、、、よく見るとマリオみたいなの。この人。
ずんぐりむっくりとした体型にヒゲ、ピチピチのジーンズに帽子。意外とつぶらなその瞳。もうこれはマリオだ。キノコを食べる前の、1-1で今まさに左から出てきたばかりの、そんなチビマリオとしか思えない。「クリボーに気をつけろよ。」「Bダッシュし過ぎるなよ。」そんなのが、僕のアパートの一階端の部屋から堂々新登場。
興味津々で見ていると、向こうがぺこり。うん、マリオ君、なかなか社会生活に適応しているじゃないか。感心、感心。
この厳しい現実世界、きちんと見据えて生きていかなくてはいけないぞ。間違ってもカメの化け物にお姫様がさらわれたりだとか、お姫様救出の為の大冒険だとか、助けたお姫様を助けてチューしてもらうだとか、その後あんなことやこんなことやらなっちゃって、「すごいわマリオ、こっちも大きくなったのね。」なんて、そんな妄想に生きるダメ人間にならないよう、せいぜい気をつけたまえ。
マリオ君とすれ違ってアパートの入り口を出ると、夜風がとても気持ちよくて。今日はいつものコンビニでなく、少し歩いてあの深夜営業のスーパーに行こう。そうだ、これがほんとのスーパーマリオ、、、
冷蔵庫の中の萎びたシイタケは、彼の部屋の前に置いてみようと思った。
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ホームセンターに行く用事があって、ついでに売り場をうろうろと物色。
別に使う予定もないのだけど、電動ドリルにくびったけになったり、引きこもり系のくせに、アウトドアのブースではテントなんか本気で欲しくなってみたり、はたまた熱帯魚のコーナーなんかもあったりして、心惹かれるものがてんこもり。
「おいおい、そんなに浮かれるなよ。調子に乗って衝動買いしたりしたら、後で後悔するぜ、若いの。」
まるで浮かれた僕の心をたしなめるかのように、水槽の中で微動だにしない、むしろ自身が水面にぷかぷか浮かんじゃってるランチュウをかぶりつきで観察。これを売ろうとするその根性がすごいよなあ、と驚愕しながら、ふと視線を横にずらすと、物干し竿が絶賛安売り中なのを発見したのです。
そういえば、物干し竿持ってないんだよな。引っ越す時にすっかりその存在を失念して、前の家に置きっぱにしてから、かれこれ半年以上。ずっと、洗濯物は家の中に干していたけれど、やっぱりこれからの季節、梅雨ももうすぐ明けたら、洗濯物は外に干すのがいいじゃない。太陽の匂いがするじゃない。ついでに最近、僕の布団にへんなカビみたいなの生えてきてるじゃない。だんだんその腐海が、広がってるじゃない。
少し悩んだ末、結局購入。
錆びにくく、軽量コンパクトなステンレスの物干し竿 348円。
そして、そこに干された太陽の匂いのTシャツ プライスレス。
いやー、いい買い物をした。この買い物上手。なんて自画自賛しながら帰路に。
それにしても改めて思ったのは、やっぱり買い物する時は、「それが本当に必要なのか?」しっかり検討することが大切ということ。それはつまり、具体的にどんな場面で使うのかをきちんと想像することなのだと思う。
今日も、その場の勢いでテントなんて本当に買っていたら、一人家の中でキャンプすることになりかねない。もういい年なのだから、衝動買いなどして後悔するような、そんな計画性のないダメ人間にならないよう気をつけなければな。ちょっとぐらい値段が安かったりしても、それだけに踊らされることなく、購入したことがプライスレスな体験に結びつくような、そんな買い物をしたいものですよね。
、、、、それで、うん、まあなんだ、なんと言うかさ、、
、、、僕の家のベランダって、意外と広いんだな。思った以上に広かったんだなあって。
物干し竿って、他の用途にはさっぱり使えないことを実感する。
短すぎた物干し竿こそ、プライスレス。
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夜、郵便局に行った。
僕 「まだやってますか?」
窓口の人 「はい、やってますよ。」
僕 「じゃあこれ、普通郵便でお願いします。」
、、、
僕 「ちなみに、これって今日出したら、月曜日には着きますかね?」
窓口の人 「たぶん着くと思いますよ。何か不測の事態が起こらなければ。」
僕 「不測の事態?」
窓口の人 「嵐で道路が分断されるだとか、高速道路が爆破されるとか。」
、、、それは、不測過ぎるだろ。
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だいぶ暑くなってきた。
夕方、少し涼しくなってから、ほてほてと歩く。
信号待ちをする僕のちょうど横で、若者4人を乗せたでっかいオープンカーも信号待ち。みな激しいまでの金髪。頭髪へのダメージなんて、そんなもの微塵も気にしない、漢らしいまでの金髪で、じゃらじゃらと金属の付いた服を着て。どこぞの街宣車の如く、洋楽をガンガンにかけ、頭をシェイクさせてご機嫌でドライブ中のご様子。
「ほーっ!!」「ひゃっほーっ!!」
なんだか北斗の拳の悪役みたいだ。
ケンシロウ登場1ページ前の街の人々のように、地面を見ながらそう思いました。目が合わないよう俯きながらそう思いました。
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ふと乗り込んだエレベーターに、パセリが一つ。
ただただパセリが、ポツンと一つ。
どこから来てどこに行くのか?誰も知らない、知りたくもない。
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「すげえなあ、ビリー。」
テレビの通販番組を見ながら思った。51歳になってもあんなに元気なその姿は、まさに驚愕に値する。だいたい自分がその年になる頃には、なんか寝たきりとかになってそうな気がする。オムツとかしてそうで不安になる。やっぱり効果があるんだろうね、「ビリーズブートキャンプ」。今や、ビリーといえば健康の代名詞なのです。
言葉にはその言葉の持つイメージがあって、夕日なら物悲しいだとか、梅雨ならほんとうっとうしいといった感じ。
人の名前にもイメージがあって、拓哉と聞けばかなりの男前を想像するし、アキ子ならば明らかに強そう。由紀恵だったら美人でないハズがないし、数子だったら美人のハズがない、ガッツだったら確実に天然。
とりあえずオナラする拓哉とか、「悪いのは、私。」としか喋らないアキ子、スーパーで安売りの卵を奪い合う由紀恵だとか、女子高生の数子、本校はじまって以来の秀才ガッツだなんて、そんなの絶対有り得ないわけですよ。とても想像できないし、想像したくない。ほんと地獄に落ちる。
そして現代では、人の名前のイメージは、結局その名前の芸能人のイメージによるところが大きいから、今は普通の名前であってもまったく油断大敵なのです。
明日にでもブレイクする、ガチホモで、三度の飯より浣腸が好きなお笑い芸人が、自分と同姓同名の可能性もないとは言い切れない。「浣腸ゲッツ!!」なんて頭が溶けてるとしか思えないギャグが、驚異の人気大沸騰しないとは限らないわけで。そんな日にゃあそれこそ、体育会系運動部の忘年会の余興に、同姓同名なだけで浣腸とかされかねない。
逆に、イケメン俳優と同姓同名になった場合も、これまたダメージはデカくて、自分がもし木村拓哉という名前だったりしたら、窓口で呼び出されるなんてとても耐えられないと思うのです。「木村拓哉?本物?どこ、どこ?、、、アレかよ。」なんて絶対トラウマになるよ。
まあ、こういったアクシデントは自然災害のようなもので、どうにも防ぎようがない。ほとほと、世の中は一寸先が闇だと思うわけで、今頃アメリカでも貧弱なビリー氏らは随分と肩身が狭かろう。とりあえず僕の名前がビリーでなくて、本当によかった。
テレビの通販番組を見ながらそんなことを思ったのでした。
蛇足ながら、僕は大学生の頃、「鼻がキムタクに似ている。」というかなり局所的なお褒めの言葉を頂いたことがあります。
その件に関して、「キムタクに似ていると言われた。」とSMAPファンの女子に話したところ、「死ね。」という、短い中にもとても感情の籠った言葉をかけてもらいました。
以上、心温まるお話でした。
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誰もが会いたがるであろうあのスーパースター、日本が世界に誇るディーヴァこと倖田來未さんと会話したばかりでなく、特別にマンツーマンで、脇毛の剃り方教わる。そんなどうでもいい夢を見た。
「こう、こんな感じ。」
、、、
なんだか激しく病んでいるけど、それはこの暑さのせいだと思いたい。
ちなみに僕は『エロかわいい』より、『かわいエロい』方が好きです。
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道路脇にポトリと落ちてる蛾の亡骸。
その模様は、鮮やかな黄色と黒。
うねり合う黄色と黒が、醤油を垂らした生卵みたいだ。
これから箸でかき混ぜる、黄身が醤油と混ざり合う、
まさにその瞬間のようだ。
だから、ブログに書いてみました。
写真とかはもちろんないので想像して下さい。
別に、想像しなくてもいいです。
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「ミキの背中に蛾が止まってる。」
「えっ、ウソ、、」
「あ、とんだ。超ウケル。絶対、mixiに書こう。」
「やだーっ。」
僕もブログに書いてみました。
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もう天才だ。そうとしか言いようがない。
、、、
世の中には、天才と呼ばれる人々がいる。その定義は、まあ人によるとは思うんだけど、『なんらかの分野において突出した著しい才能があり、それによる華々しい結果(もしくはその片鱗)が見られる人』のことだと僕は思う。普通の人が不可能に思うような、思いつきもしないようなことを成し遂げてしまう人。
「え、なんで出来るの。」「どうして、そんなこと思いつくの。」「屁するか、、ここで。」
ちなみに最後のは小学校の同級生、屁の魔術師こと横山クンのことで、どこでも自在に屁を操るその天才っぷりに、当時の僕らは酔いしれたものだ。「どうやったらあんなに屁を出せるのか?」「連発するにはどうすればいいのか?」ちょっとでもその技を習得しようと、日々真剣に悩み抜いた。そう、あの頃はオナラがすべてだった。オナラを制するものが世界を制する、とそう無邪気に信じていた。
魔術師たる彼は、場所を選ばず、雰囲気を鑑みず。ついでに、どうやら彼の中で緊張が高まると、その肛門はエヴァさながらに暴走するらしくて、先生の説教中だとか、テスト中だとか、「なんで、今?」というシリアスなタイミングになると、体制に迎合しない彼の肛門は自由への闘争を繰り返すのでした。
やがて教室での一大オナラムーブメントは去り、唯一残ったのは彼のあだ名の、屁こきマン。
そういえば、江戸時代の見世物小屋では、屁をする芸なんてものあったらしいので、彼も生まれた時代が少し遅すぎた故の、”悲劇の天才”と言えなくもないわけです。
ともかく、説明なんて出来ないから天才。
ただ一方で、安易に人を天才と言うことに僕は懐疑的でもあるのです。だって、それはその人の残した結果だけを切り出して、その才能と繋げることに他ならない。
「あの人は天才だからすごい。」それは確かにそうなのだろうけど、その裏にあったであろう、血の滲むような努力だとか、気の遠くなるような創意工夫だとか、そういった全てのものをバッサリ切り捨てて、「あいつには才能がある。天才だ。」と言ってしまうのはいかがなものかなと思うのです。
またそれは同時に、結果を取り出してそこにのみ価値を置くことに繋がる訳で。結果至上主義ともいうべきその考え方は、結果だけを求めて考えなしにただその人の真似をしようとする、安易な模倣を生み出す温床にもなりかねない。天才の表面的な形だけ真似してみたとしても、そこになんの意味があるのだろうか?
「才能だけでは偉大な結果は残せない。」みたいなことを、頭のフサフサした頃のジーコも言っていた気がする。まあ、屁こきマン(横山クン)がどのように血の滲む努力をしていたのかは、今となっては知るよしもないのだけれど。
、、、
で、このブログを読んでね、もうこれは天才だと。
安易にではなく、そうとしか言いようがない。
そこにあるのはほんとにシンプルな何気ない言葉。その短い積み重ねが生み出す至高の空間。そしてその空間を見事に操る、ボクサーらしい芸術的な改行。海原雄山もびっくり。「女将を呼べ。」それぐらいびっくり。すごいよ、すごすぎるよ竹原さん。更新頻度も高すぎるよ。ついでに、ブタっ鼻のタイトルも絶対、酒飲みながら決めてるよ。
古来から言葉には大きな力が宿ると信じられてきたけれど、もうこれは言葉の魔術師、現代の言霊使いと言っても過言ではないのです。どこぞの屁こきマシーンとはその格が違う。”オナラを制するものが世界を制する”とか、そんなの狂っているとしか思えない。
振り返ってダラダラと無意味な文を繋げる僕のブログが、なんだかとても恥ずかしくなった。夕暮れの教室で、あの子のリコーダー舐めているのを見つかったあの日のように、恥ずかしくなった。「うん、ちょっとそこに落ちてたから。」隣で意味不明の言い訳を始める横山クン、周囲に仄かに漂うオナラの香りに「なんで、今?」と驚愕した遠い日の記憶が甦り、僕は反省した。猛烈に反省した。
もう、リコーダーは舐めません。
ついでに、これからブログは短く簡潔に。よし、安易に形だけ模倣するぞ。なんたって、どのみち意味なんてないのだ。
まあ、それを言う為の文章からしてこんなにダラダラなのですけど。
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やばい、遅刻だ。
幸せな眠りの淵、夢の国から叩き出されて、一気に覚醒する意識。一瞬の判断でその危機的状況を認識して、布団をはねのけ飛び起きる。ぼさぼさの頭に水をかぶり、髭を剃って、服を着替える僕。日々の繰り返しが生んだ流れるようなスピード、まったくの無駄なくすばやく準備を終える。こんなことでも、つくづく継続は力なりだと思う。
扉を開けると、まぶしい朝の光が。よし、今日も一日頑張るぞ!
左手にはカバン、右手にはテレビのリモコン。
、、テレビのリモコン、、
、、
、
じゃあの。
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全国的に梅雨入りしたみたいですね。
ここのところ天気もぐずぐずなら、気分もなんだかモヤモヤと曇りがちで、ちょっとメランコリー気味。僕の今の気分を敢えてたとえるとするなら、分かりやすく擬音でたとえるなら、そうだな、”ぷくぷくブクブくプッぶクブー”といった感じか。最後のブーは少し小さめに、そのまま消えていく感じで。
でも、待てよ。どちらかと言えば、”コロコロコロリンピキべキがン”かもしれないぞ?でも、もう少し悲しみを前面に押し出す感じの方がいいかも。”ジャンジェカジョロリン、ピューパッツパ”かな。いやいや、ペロリンゲロリンチンチロリンもなかなかに捨てがたいぞ、、
、、、
いやー、宮崎監督もこんな風に、ラピュタの破滅の呪文を何にするかで、いろいろと悩んだのかなあと思って。
とりあえず、こんな自分の人生にバルス、、、
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キュウリ味のペプシ(ペプシアイスキューカンバー)を飲んだ。
ふーん。まあ、そんなもんかな。さほど不味くもなく、かといってうまくもなく。
キュウリの味かと言われれば、なんとなく青臭い感じが似ているような気もするけど、メロンと言われればメロンのようでもあり、あんまりよく分からない。別に、キュウリエキスとか入っているわけではないようだ。それにしても、なぜキュウリ?
なんていうのかな、何を目指すのかというコンセプトっていうか、誰がいつ飲みたがるのかというターゲットっていうのか、その辺りがはっきりしないよね。意外な組み合わせのようでいて、その実いまいち冒険心が足りないよな。
まごうことなくキュウリそのものの味というよりは、キュウリっぽい、キュウリと思えなくもない味にして、キュウリ味と命名するところがリスクを避けている。「この組み合わせ珍しいだろ。飲んでみろよ。」みたいな、そのアイディアに対する製作者の自己満足を感じる。なんだかとても自己完結的なのだ。それに、「いろいろなところで話題にしてもらえるだろう。珍しさで一回ぐらい買ってもらえればいいや。」という志の低さも見えるように思う。しかも期間限定だなんて。そんなんじゃあ、ダメだ。中途半端に逃げちゃダメだと思う。村一番の勇者と謳われた、偉大なるキューカンバーの名が泣くってもんだ。
リスクを避け、エクスキューズを作る。その姿がなんだか今時の若者の姿にダブって見えるのです。
今の時代、汗水垂らして努力するのはかっこ悪いと言われがちだ。「俺はすごい才能持ってるぜ。持っているんだけど、でも、そこまでして売れたくはないよ。自分は曲げたくない。だから分かる人だけ分かってくれればいい。」みたいなことを言う若者も多いと聞く。ナンバーワンより、オンリーワン。
だけれど考えて欲しい。その理屈でいけば、この世の全てのものはオンリーワンなわけで、そんな意味でのオンリーワン、つまりなんでもかんでもってことに価値なんてあるのだろうかと。今朝のうんこすら、オンリーワンなのだ。同じの2度とできないもんね。もったいないから、オンリーワンだから採っておく?
皆から認められるオンリーワンであることは、ナンバーワンになることなんかより、桁違いに大変なことなのだ。
だいたい、そんなことを言う人に聞きたいのは、「あなたは、それを人に理解してもらえる為の、あるいは理解させる為の努力をしたのか?」ということだ。そんな風に自分で自分に言い訳しても、結局のところ自分は決して欺けないと思う。何事にも泥臭い努力は大切で、でも、その努力が必ず報われるわけじゃない。カメがウサギに勝つなんて絶対の真実だとは思わないけれど、失敗し、負けて傷付くことを恐れていたら、傷付かない代わりに何も生まれない。多くの労力が徒労に終わるものだとしても、その行為、歩みを続けようとする意志にこそ真実があるのだと、僕は思う。前進する意志があれば、諦めない心があれば、そこを目指して進み続ける限り、いつか目的地には到達するのだ。だって、そこに向かっているのだから、、、って、JOJOの59巻で、アバッキオの同僚の警察官も言っていた。つまり、そういうことなのだ。そういうこと、、
、、結局、何を書いていたか、さっぱりわからなくなった。
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玄関の前で、家の鍵を探しているおじさんを見た。
庭付きの一軒家の玄関に立つおじさん。会社帰りで、きちんとネクタイを締めスーツ姿、年の頃は50代後半から60代に届こうという所か。社会の荒波にもまれ、やや白く、そして薄くなった頭髪とシワの深く刻まれた顔、その疲れを象徴するかのように垂れ下がった肩。高度経済成長期を支えてきた、日本の企業戦士の年老いた姿がそこにはあった。
会社ではそこそこの地位にあるのだろうけど、新入社員との意識のギャップやら、自分の中での仕事に対する情熱の減少やら、はたまた子供の教育問題まで、日々いろいろと考えさせられることも多かろう。
若くてただただがむしゃらな時もそうだけど、人は年を経ても苦労の尽きることがない。ほろ酔い加減のおじさん。そりゃあ、外で飲みたく日もあるってもんさ。仕事への情熱溢れるあの華麗なるの鉄平にも、自殺しなければ、こんな感じにくたびれる日がやって来たりしたのだろうか、などと思ってみたりもする。
で、その間にもおじさんは、しきりと胸ポケットやら、ズボンのポケットやらに手を突っ込んでなにやら捜索中の模様。おそらく家の鍵を探しているのだろう。
固く閉じられた自分の家の扉の前で、必死にその鍵を探すおじさん。その姿がなんだかとても象徴的だなあと。もしかしたら、仕事の忙しさにかまけて、家庭をないがしろにしてしまったこともあったのかもしれない。家族にかまってもらえなかったりするのだろうか?
そうなのだ、自分の居場所が分からなくなったり、自分探しをしたりするのは、何も若者だけの専売特許というわけじゃない。人は皆その居場所を探して彷徨う旅人のようなもの、それは人の宿命、業ともいうべきものなのだろうな。
などと僕が考えているその間にも、おじさんなにやら小さい声で喋っているのです。
何かこの日本社会へのメッセージか、はたまた今の自分への励ましの言葉なのか、そんなことを思って耳を澄ましてみると、ひっきりなしに「ピシッピシッ、ピシッピシッ、ピシッピシッ」って、、半笑いで「ピシッピシッ」って、、
なんていうのかな、、それは現実社会の厳しさやら辛さを例えているのかな、などと好意的に思ってみたりもしたのだけど、どう考えても明らかにムチ。確実にM
おじさん、玄関前で取り憑かれた様に「ピシッピシッ、ピシッピシッ」って。
、、、
、、
、、自分探しの終着駅、そこか。
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帰り道で、酔っ払ったおばさんに話しかけられた。
スナック何某のアケミが、あまりに性悪過ぎるらしい。ブサイクな面のくせして、客である私をないがしろにする。そのくせ、イワムラには媚を売るので、そこが余計に腹立たしい。だから私は、もうあそこには行かないよう、イワムラにもきっぱりと言うつもりとのことだ。
、、
、、、あんたも含めて知らないよ、そんなの。
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努力、友情、勝利。
ジャンプ様も常々そうおっしゃっているように、勝利を得る為には、努力とそしてやっぱり友情が大切。裏を返せば一人で努力し、たとえ勝利したとしても、そこに友情がなければその喜びも半減してしまうのです。
流川楓あってこその桜木花道であり、テリーマンあってこそのキン肉マン、ニコチャン大王あってこそのアラレちゃん。「その人を知らざれば、その友を見よ。」と昔の偉い人も言ったとか言わなかったとか。友人、友情ってとっても大切だよね。
そんなことを考えさせられる出来事に遭遇した。
、、、
とあるビルでエレベーターを待っていると、その横がトイレ。まさしく女子トイレで、その入り口には高校生とおぼしき制服の女の子が一人。壁に寄りかかって携帯をいじるその子を、見るとはなしに見ていると、突然、トイレの中から声が。
「馨、助けて!助けて!」
まさに悲痛というのがふさわしい、追い詰められ、搾り出す様な女の子の声が、トイレの中から。事件か?何か大事件がトイレで発生?まさか、ミラーマン登場か?ミラーマン(inトイレット)なのか?、、、でも、さすがに、これは踏み込みずらいよな。
そんなおろおろする僕を尻目に、瞬時に反応し、脱兎の如き速さでトイレに駆け込む馨。
昨今、世の中物騒じゃないですか。巷に溢れる猟奇的事件のニュースを考えれば、中には人の皮を被ったついでにあそこの皮も被った魔物がいるかも知れないわけで、もしかしたら自分の身が危険に遭うかもしれない。
だけど、そんな躊躇いを微塵も感じさせず、勇敢にも友の為に飛び込んでいく。中の友人にしても、「馨ならばきっと助けに来てくれる。」そう信じて呼んでいる訳で、二人の間にはメロスとセリヌンティウスの様な固い信頼関係が。これを友情と呼ばずして、何を友情と呼ぶのか?その姿に僕は猛烈に感動しながら、トイレの入り口で待機してました。どうしたものかとうろうろしてた。
そしたら、トイレの中から大きな笑い声が。
「上から紙投げ込むから、ちゃんとキャッチしろよ。」
、、なんだ、そういうことか。
でも逆に考えてみると、これはこれですごいことだと思い直したのですよ。トイレの外にいる友人に、大声で紙の補給を頼めるなんて。そこに信頼関係がないと、とても呼べるもんじゃない。
なんだか事件の方向性はずいぶん変っちゃったけれど、自分のバカな姿をも晒せるのが真の友人だとも言うし、これも結実した友情の一つの形なのだ。「その友情を大切にしろよ。」決して会うこともないトイレの中の人に対して、そんなことを思いながら、やって来たエレベーターに乗ったのでした。いやー、ほんと面白いものを見た。
ところで、もし僕ならどうしたかって?
、、友人とかほとんどいないしね、、、うん、このままはく。
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駅前で布教活動している外人の人を見た。
それが宗旨だとしても、わざわざ異国、日本での布教活動には頭が下がるのです。その青い目の外人さんがどこの国の人かは知らないけど、おそらく生活習慣も違い、言語も、食べ物も違い、しかも物価の高い日本で、そりゃあ日々の生活にもさぞかし苦労が多かろう。その上での布教活動。布教に訪問した家で、納豆とか梅干とか無理やり食べさせられたあの日、涙で枕を濡らした夜もあったかもしれない。「ニホンジン、腐った豆食べるなんて狂ってる。」
僕自身の個人的な宗教観はこの際横に置いといて、少なくともその努力は感嘆に値すると思うのです。仮に自分に当てはめてみたとして、偉い人に「君はザンビアでの奉仕を頼む。」とか言われたら、「それはムリ。」
まあ、逆に言えば、その想いの強さ故に、古来から宗教紛争が世界中で絶えないというのも、なんだか納得できるのです。結局、その力の使いよう、方向性が大切ということなのだけど、それにしても人間の何かを信じる力、何かを成し遂げようと努力する力はすごいなあと思ったのでした。
だだ、ただね、
彼が熱心に布教するその相手というのが、どこからどう見ても、まごうことなきホームレスのおっさんで、ワンカップの酒を飲みながら、まさに天国気分で道端に横になっているところというのはいかがなものか。その活動、どこにも着かないんじゃないかなあと。
つくづく努力の方向性って大事だよね。
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お姉さんに誘われた。
今日はほとんど人と話してないなあ、などといった、まったくもっていつもどおりの日常を終えて、プールで泳いだ。
金曜の夜というのはその開放感から、街に繰り出した人々が、日々の仕事を忘れ、いつもより酒を飲んだり飲まれたり。そんで、上司の悪口で盛り上がったり、男女の恋のゲームなんかが繰り広げられたりして、まさに決戦の金曜日。スポーツジムもその例外ではなくて、金曜日は夜遅くてもそれなりに人が多く、微妙な活気に溢れている。
ダンスだとか、ヨガだとか、そんな教室を終えたばかりの男女が、火照った顔のまま通路のそこここで話込んでいて、
「きゃっ、マジ疲れたー。」「頑張ってたねえ。」「ほんとー。そんなに。」「そうかなあ。」「すごい、シンジラレナイ。」「そんなことないですよ。山口さんもスタイルいいじゃないですか。」「久美ちゃんには負けるよ。」
もう、なんだかそこらじゅうが、やたらめったらと、、うざい。
だけどそんな周囲の喧騒をものともせず、一人で通路を歩く男がここに。
そう、俺はロンリーウルフ。弱い奴らほど群れたがるもんさ。真の戦士に休息の時間はない。日々、その勢いを増す闇の勢力をこれ以上のさばらせないためにも、そしてその尊い犠牲になった同じアパートのアイツとの約束を守るためにも、俺はこんなところでゆっくりしているわけにはいかないんだ。悲しいことだけど、コレ、戦争なのよね。平和に暮らす奴らが羨ましくないと言えば嘘になるが、これも選ばれた者の、力を持ってしまった者の定め。たとえ誰にも気づかれず、誰からも感謝されなかったとしても。この世界の為に、俺は戦う。そう、この体燃え尽きるまで、、、
、、、などと、もう完全にあっちの世界に引き篭もり。そんで新たな戦いへと向かう為(←自分設定)、受付を済ませてとっとと家に帰ろうとすると、受付のお姉さんにおずおずと話しかけられた。
このお姉さん、最近見るようになった子で、無駄にスポーツマンタイプっぽくないところがいいなあ、などと思っていたのですよ。前によく見た受付の子は、茶髪で妙に日焼けしていて、健康そうなことは確かに健康そうなのだけど、どちらかというとどこかのジャングルで葉っぱとかつけて走り周っていても違和感なさそうなタイプ。石オノとか投げさせたら、村一番の使い手みたいなタイプだったから、それと比べると月とすっぽん。ポニーテールで普通っぽい感じが、なかなかいい。
なにやら聞いてみるに、体験ダイビングをしてみないかとお姉さんに誘われた。どうも、今がキャンペーンの期間中で、予約するとなんともありえない程の物凄い格安料金で、ダイビングが体験できてしまうのです、普通のプールで。水深1メートルもあろうかというプールで。それ程の、みんなが争って知りたがる超お得情報を、わざわざこの僕に。この僕の為に。
いくら仕事とはいえ、当然お姉さんにだって好みはあるハズで、ただ微妙に暇だったからとか、ノルマがあるからとか、そんなことではなく、僕はまさに選ばれたのだ。繰り返して言おう、そう、僕はまさにお姉さんに選ばれたのだ。
先程のロンリーウルフの設定はどこへやらで、新たな妄想へと暴走しそうになる自分を律する僕、超クール。なにせ、この物語は今現在進行形なのだ。ここはやっぱりはっきりと返答しなくては。
なにせ最初の印象は大切。ファーストコンタクトはやれるかどうかの大切な要素だと、大学時代にモテモテ加藤くんも言っていた。そうだ、中途半端な答えで、優柔不断な奴と思われてはいけないぞ。ここは一つ、男らしくキッパリと。自分の意思表示をしなければ。
だから、言ってやったよ。
「まったく興味ありません。」
時間が止まった。
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不動産屋さんに電話したら、ただ引っ越しただけと言われた。
、、、ほんとかな。
引っ越して空になった部屋の前に、塩なんて盛る?
なにやらきな臭い匂いが、大きな陰謀の影が見えるぞ。世の中、テレビのニュースやインターネットを駆使したとしても、目に見えるものなんてのはほんの氷山の一角だけで、その裏には目に見えない、その存在にすら気づかない多くのことが隠されていると聞く。
思うにあの不動産屋に対しても、事件直後に黒ずくめの男達がやって来て、万全の口止め工作が行われたに間違いないのだ。そういえば、「もしもし。」と言った時の声が上ずっていたような気がしないでもないような。本当の大事件というものは、そんな事件があったことすら、その痕跡から消されるもの。奴等は、きっとこの事件の真相をこのまま闇に葬るつもりなのだ。そう、そんな事件があったこと自体を、、、
だから今日、僕の目覚まし時計がいつの間にか止められているという脅威のミステリーも、きっとそんな工作員達の仕業なのだ。どうしても僕に起きられては困る、定刻通りに職場に向かわれては困る、そんな闇の勢力が、この平和ボケした日本社会の中にも、厳然として存在するに違いない、、、
もちろん、そんな言い訳はしなかったけど、、
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平穏な日々。
終盤に休みを有する4月に比べると、GWの終わった後の5月というのはさしたるイベントもなく、いまいちパッとしない。垢抜けないよね。この退屈な日常、秩序のない現代にドロップキックするようなこと、ないのかな。まあ、別に何かイベントとかあっても呼ばれるあてもないけどな。いわゆる気持ちの問題ですよ、気持ちの。
そんなことを言ってしまうと、すべてのことは気の持ちようということになってしまうわけで、結局その気持ちをうまく持てないし、ついでにすごくモテナイから困ってしまうのだ。
でも、嘆いていても始まらないのも真実。世の中には何十億という人間がいて、それぞれがそれぞれの日常を送っている。それはとてもすごいことで、一つとして同じ人生はないし、今、この時間も二度と来ない。
だいたい、退屈で平和な日常の一コマ、そんな風に見える日々のまさにその間にも、僕らの周りでは常にいろんなことが起こっているから、現在進行形の真っ只中にいても、僕らはただそれに気づいていないだけということも往々にしてあるだろう。
こんな休日であっても、日本を守る為、仮面ライダーは今まさに首都高をかっ飛ばして、現場に向かっているかもしれないし、ウルトラマンは電球の切れてしまったカラータイマーの修理に余念がないかもしれない。ただ退屈だと現実を嘆いて、その目を曇らせていると、身の回りのいろいろな出来事に気づけない。そう、大人の振りして諦めたら、奇跡の謎など解けないのだ。生きることの喜びを噛みしめながら、子供のような新鮮な気持ちで日々過ごしていきたいと思う。
、、、ところで、昨日から僕の住むアパートの1階の部屋、突然カーテンがなくなって、部屋の扉の前にたっぷりと盛り塩してあったんだけど、、、あれ、どういう意味かな?
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オムライスを食べた。
たぶんおそらく、外でオムライスを食べるのは、今日が初めてだと思う。なので、その想いを綴っておこうかと、、
別に、食堂もないような田舎に暮らしているわけではないし、もちろんオムライスを知らないのでもない。あの頃、家があり得ないほどの貧乏で、横丁のゴミ箱が僕ら兄弟の冷蔵庫だっただとか、卵は宗教上の理由で電磁波が怖いからちょっととか、はたまた、どこぞの山奥で、秘密組織に殺人マシーンとして育てられたから、そんな軟弱な食い物なんてもっての他とか、まったくそういうことではなく、ただ単純にオムライスというものを外食するのが初めてという意味。
いつからなのかはトンと知らないけれど、僕の婆さんはオムライスが得意料理で、子供の頃から僕にとってオムライスと言えば、それは家で婆さんの作ったやつを食べるものだった。ケチャップで自分の名前、書いてもらったりして。弟のやつに僕が勝手にハートを描いて、殴り合いの兄弟喧嘩したこともあった気がする。
たいていの子供がそうであるように、その頃の僕もオムライスは超々大好物。黄色と赤のそのコントラストが素敵過ぎて、「今日はオムライスよ。」なんて聞くと、大興糞しながら食べたものだ。「外でお金取ってもいいぐらいの出来でしょ。」なんて婆さんの自慢を聞きながら食べた。こんなにもうまいものはこの世にそうそうあるハズなんてなくて、そんなオムライスを食べれるなんてすごいことで、家の婆ちゃんはきっとオムライス作りの天才なんだと。
年と共にその婆さんもだんだん料理を作らなくなって、僕が一人暮らしをはじめてからは、そんなオムライスを食べることもさっぱりなくなった。でも、なんだか外食でオムライスを食べる気はしなかったから、必然的に、オムライスを食べること自体がなくなった。
、、、
そういえばとふと思いたって、今日オムライスを食べてみた。
普通だった。
そこら辺にあるごく普通の喫茶店で食べたのだけど、「なかなかいい線。でも、あと一歩足りないよな。」だとか、「やっぱりアレには勝てないか。」だとか、そんなことは全然なくて、僕がオムライスとしてイメージしている普通の味。
僕にとってあのオムライスよりおいしいものはないと思っていたけれど、今日食べたのもほとんど僕の知っているのと同じ味で、普通においしかった。そして、おいしかったけど複雑だった。まあだいたいの所、オムライスの味なんて主にケチャップの味なわけで、それを自作しているのではないのだから、そりゃあ似たような味になるよね。似たような味になるのは分かるんだけど、、
知らなくていいことってあるよなと。
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やることがてんぱってピークになると、部屋の片付けとかはじめるタイプ。
昼飯を食べにラーメン屋に行ったら、そこの主人がなにやら猛烈に怒っているのに遭遇。どうにも怒りが収まらない様子で、アルバイトの店員をしかりつけている。どうやら、スープを煮込む寸胴の蓋が開いていたのが原因らしい。
「スープ煮る時は蓋閉めるもんだろ。何で開いてるんだよ。」
「だいたい、こういう所にやる気がでるんだ。そんな風に態度が緩んでっから、蓋も開けっ放しになる。」
ぐらいのところからはじまって、
「そんなんじゃ、これから先やっていけないぞ。生活態度を改めろ。」
「目の前のことがきちんとできない人間は、なにやってもダメ。クズだ。」
「楽な方に楽な方にとすぐ流される。俺は、お前の将来が心配だ。」
といった感じの人間性の問題へとシフト。ずりずりとラーメンを食べている間にも、カウンターの向こう側から、もりもりと罵声が聞こえてくる。なんだか、自分が怒られているような気分になる。すみません、忙しくなるとついブログ書いたりして、現実逃避しちゃうんです。
そして、説教はピークへと
「結局なあ、そんなことじゃ、お客さんがおいしくラーメン食えないんだよ。」
激しく納得。
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中国の遊園地のニュースもういい、もうお腹いっぱい。
ここのところたいした事件がないからなのか?はたまた、実は世間には多数の圧倒的熱狂的あの遊園地ファンがいて、「この事件はどうなっているんだ。報道の自由はどうした。」「テレビ局は、視聴者の知る権利を守れ。」みたいな電話が、それこそ4月に入社したばかりの苦情係のお姉さんが困ってしまう程にバンバンとかかってくるからなのか、、そんで、「私のせいじゃないのに、、ヒック、、。」なんて仕事に疲れたお姉さん泣いちゃったりして、、そんなお姉さんの悩みを聞いてあげたいなあ、だとか、、でも仕事の愚痴とかって、酒飲みながら聞くと、ネチネチとうざそうだよな、だとか、、ともかくテレビをつけるたびにやっている気がするよ、中国のパクリ遊園地のニュース。
突然忽然と、昨日まであったハズの白雪姫が消失してしまうミステリーだとか、ミッキーがカニに大変身だとか、、、、、正直もういいと思う。たぶん、残りの僕の人生の中で、そこに行くことはない。「せっかく楽しみに来たのに、ドラちゃんがいないじゃないか。」とかないですから。
もっとも、自分が行く行かないとか、自分への直接的関わりの有無で極論すると、僕が社会的にほぼ引き篭もりに近い生活を送っている以上、世間の大半のことはどうでもいいことになってしまうわけだけど、、、
うん、確かにどうでもいい。
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さわやかな土曜日の朝。
熱すぎもせず、寒すぎもせず、眠すぎもせず。数日前のイカレたような暑さが嘘のような快適さ。やっと、わかってきたじゃないか、太陽も。お前はやれば出来る子だと思っていたぞ。うん、いろんな意味でのん。
そんなわけで、いつもより少し早起きする。今日は休日だけど早起き。やっぱり、限りあるからこそ、時間は有効に使いたいものだ。だいたい、明日は休日だからといって、前日に深酒やら夜更かしなんかしたりして、その挙句に肝心の休日を昼過ぎまで寝ているなんて、そんなのはクズのやることですよ。はたまた世の中には、休みの日は昼間っから酒を飲んだりする人もいると聞くけど、そんな人がいるなんて、ほんとジラレナイシン。
僕はそんなクズとは違うぞ。さっそく、どこかに出かけようかとドアを開けたら、アパートの壁にバッタが止まっているのに遭遇。
なんだか心が安らぐよね、こういうの。普段はあまり意識しないけれど、街の中にも意外と自然はあるもんで、ちょっとした道端の花だとか、健気に生きる虫なんかを見ると、僕も頑張ろうって思ったりする。バッタ君、君も早起きかい?
まさに、バッタに、バッタリ!!
、、、、
、、
、
、、、もう、外出は無理だ。
なんだか激しく自己嫌悪の沼に落ちたので、そのままドアをバッタリ閉めて外出中止。
飲んで寝た。
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家に帰る道をとぼとぼと歩いていると、僕の前をさらにとぼとぼと歩く少年に遭遇。
こんな時間にこんなところをとぼとぼと歩いているなんて、いったいどうしたというのだ、少年よ? 、、って、僕もだけど。
とぼとぼ歩くそのスレンダーな少年、後ろからよく見ると、サスペンダーがぶらぶらと。いわゆる単独のズボン吊りが、背中側だけはズボンに付いたままで、本来お腹の前にあるべき前側がお尻の下辺りでぶらぶらと揺れているのです。尻尾みたいに地面に引きずられながらぶらぶら揺れるサスペンダー。
とぼとぼ、ぶらぶら、とぼとぼ、ぶらぶら、、
「ありゃまあ、サスペンダー外れてるよ。」って親切に教えて上げようかとも思ったけれど、お洒落なんて何が流行るかわからないじゃない。アマゾンだかどこだかの部族なんて、唇がビローンってなっている方が美人だったりすると聞く。ここはアマゾンではないし、彼も未開の部族ではないとは思うけれど、この尻尾みたいなぶらぶらサスペンダーは、ドラゴンボールにちょっぴりインスパイアされた、今時の日本の若者には必須のアイテムである可能性も否めない。
実はこれが今シーズンのファッション最前線で、まかり間違ってピーコなんかが見ようもんなら、「もうーっ、すごく素敵よ!!すごく素敵!!素敵ー!!」などとうざいぐらいにテンション上がっちゃったりするかもしれないのだ。だから、下手に親切な大人ぶって教えて上げたりしたら、逆に、「え、おっさん、コレ知らないの?」などと言われかねないよなあ。危ない、危ない、オラとんだ恥をかくところだったぞ。
やっぱ、今年の春は”スレンダー、サスペンダー”だね。
だから、とぼとぼ帰ったさ。
で、”サスペンダー ファッション”でぐぐっちゃってる自分がわりとすき。
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、、暑い、暑すぎる。
去年がどうだったか?さっぱり覚えてないけれど、簡単にたとえようもない程に暑い。これは、地球の温暖化が驚くべきスピードで進行しているからなのか?はたまた、宇宙怪獣の恐るべき地球侵略計画の一環なのか?ともかく、ここのところの突然の暑さのせいで、僕はもういきなり夏バテ。早くも夏バテ。
まあ、これも言うなれば、”時代を先取りし過ぎた者の不幸”とでも言うべきなのかな。昼ごはんのカレーを残す程の、危機的夏バテが大発生したのです。、、、まだ夏じゃないけどさ。
ほんとさ、毎度のことながら、ちょっとは考えて欲しいと思うよ。冬で寒かったから、次は暑くしときゃあいいと思いやがって。程度ってもんがあるだろ、程度ってもんがさ。太陽も、少しは学習しろと言いたい。3歩歩いたら全て忘れるなどと言われるニワトリですら、決まった色のボタンを押したらエサが出てくる機械に入れておくと、その色を覚えてつつく。そんなのを、この前、テレビで見たもんな。
なのに太陽ったら、ほんと何かというと情熱にまかせて、燃え上がるばかり。後先のことなど考えずに、ただただ燃え上がるばかり。ちゃんと避妊ぐらいはしておけよな。どんなウルトラマンだ、どんなコスモスだと。
だいたい、組んだばかりの新しいユニットとかどうすんだっての。妊娠しちゃった方はいいけどさ、残された二人、残りの二人とかかなり微妙な感じになっちゃってて、そうじゃなくても確実に色物っぽいのに、その感がさらに輪をかけて見える。ほらアレだ。映画の「卒業」で、花嫁を結婚式の最中に奪いに行くシーン、そりゃあ、連れ去られた花嫁と連れ去りに来た方はいいけどさ、その裏で花嫁を奪われたその花婿のこと、ちょっとは考えろよな。
たぶん残された二人とも、「えっ、マジ。それ始める前に言ってよ。」「聞いてないよー。」ってダチョウ倶楽部みたいなことになっていると思う。まあ、大食いさんの方はさ、自分のフィールドの外での話だからまだいいとしてもさ、メガネアイドルの人なんて、アイドルなのにギャル方向に、いわばかなりイメージ崩して走ったのに、先頭車両がなくなったというか、線路がなかったというか、時間も夢も裏切りまくりっていうか。
勘違いして欲しくないのは、僕がこんなことを書くのも、別に太陽が羨ましいだとか、19歳なんてほんと若くていいよねだとか、モー娘と知り合うにはどうすればいいのかとか、でも僕は意外と圭ちゃん派なんだよなだとか、そんなことを考えている訳では全くない。断じてない。心外だな、そんなはずないじゃないか。
そうではなくて、超俯瞰的な、いわゆるウルトラマン的な視点から、地球のみんなの将来を考えるとさあ、それでいいのか?とか思うわけよ。ぶっちゃけ、ギャルの格好、ほんとはすごく嫌だったのか?だとか、喫煙問題がなくてあの人復帰してたら、どうなっていたのか?だとか。
でもって、ギャルへの熱い思いはどうなってるんだ?、、いっそ、「ギャルル」からギャ取って、ルルでやっていくのはどうだろうか?、、とりあえず、鼻水、鼻づまりには効果有りそうだぞ、、太陽とRURUといえば、シスコムーンはどうなったのだろうか?、、ところで、シスコムーンってなんだ?、、、、でも僕は、モスコミュールの方がもっと好きです、、、それ、スコしか合ってねーよ、、、、思いついたギャグは、とりあえず書いとかないと、、、、、、でもって、マジ、ギャル革命万歳!!、、、、
そんぐらいに、もううざいぐらいに暑い。
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GW、久しぶりに大学時代の友人と飲んだ。
今は互いに社会人になり、昔の様に頻繁に会うことはないけれど、気心の知れた友人と飲むのは楽しいものだ。超人見知りの僕としては尚更に。
大学生の時には考えもしなかったのだけど、互いがそれぞれの仕事をして、それぞれの生活を歩んでいるだけに、その日常を聞いているだけでなかなかに興味深い。あの頃の選択により導かれた現在。つくづく、日々の選択の積み重ねが、未来の大きな変化を生み出すものなのだな、と思う。
そもそも一人の人間が経験できることなんて限りがあるから、同年代でも、自分と違った仕事をしている人の話は、聞いていてとても為になるし、「困難に直面した時、どう考え行動すべきか?」について、普遍的な教訓を含んでいる。そうして得られた情報を自分の日常にもフィードバックすることで、人生はもっと豊かになると思う。
で、その友人に聞いたのだけど、
「胸毛の濃い男は、乳輪がでかいらしい。」
、、、で、この情報をどう活かせと、、?
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実家の妹の部屋にて。ここ、昔は僕の部屋だったのだけど、今やそんな面影ほとんど残っていない。壁に貼られたままの、アイルトン・セナのポスターぐらいだ。でもって、僕も使っていた学習机の上に、
『これまで生存した最も偉大な人』
などという、なにやらとても荘厳なタイトルの、絵本形式の聖書のような本、見つけちゃったよ、、
、、うん、見なかったことにしよっと、、
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やっぱ、菖蒲湯。
実家に帰ってGW。こどもの日といえば、菖蒲湯だよね。というわけで、深夜、近所の銭湯へ。出がらしのお茶葉のようにクッタリした菖蒲を満喫。一方、そんな僕の横では、どこぞの寺の坊主が菖蒲の束持って、ドラマーのように湯船を叩いていた。
坊主が風呂場で上手に菖蒲でドラマーに。
諦めたら、ゲームはそれで終わり。酔っぱらいばかりのこんな風呂場だけど、あんた、一番輝いてるぜ。漂う湯気が、ステージのスモークに見えた。深夜の一人だけのコンサート。
坊主、夢、諦めるなよ。
、、て、どんな夢だよ。
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「俺さ、今度チベットに行こうかと思うんだ。」 「チベット?」
「うん、チベット。」 「どうやって行くの?」
「うーん、知んない。」
そんな会話を繰り広げる、若者の一群とすれ違う。街中の階段に座り、スナックやら酒やらで即席の宴会を開きながら、まわりを気にせぬ、ほんとバカみたいに大きな声で、これからのことを語り合ってた。
若さとは、その無謀さ故に価値があると思う。その無知故に、誤ったっていいじゃない。僕には、何もかも捨ててチベットを目指す、そんな若さはもうない。
まあ、別に行きたくないけどな、チベット、、
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感動の再会というのものを見た。
友人が少ないせいか?はたまたあまり出歩かないせいなのか?たぶんその両方だと思うのだけど、外出中に予想外の人にばったり、というシチュエーションに合ったことがない。大学のそばで大学の友人にとか、会社のそばで会社の同僚にとか、そういう予想内のバッタリでなくて、思わぬところで思わぬ人に。そういう出会いへの憧れを感じる。
で、そんな場面に出くわしたのです。自分のではないのだけれど、、
、、、
夜、込み合う新幹線の改札口で、偶然の再会を果たしている人を見た。改札から出来た来た彼と、改札に向かう彼。二人の歩みが交差する。
「おっ、大道?もしかして大道じゃない?」 「おお、久しぶりだな、元気か?」
突然の出会いに湧き上がる驚き、そして喜び。
そう、僕が憧れているのはまさにこういった出会いなのだ。
日々の生活の中で、心の奥にしまわれていた、しまったままに忘れてしまっていた、そんな古い思い出が一気に甦る。無茶なことばかりして、それでも二人でいれば無敵だと信じていたあの頃。校舎のガラスを壊してまわったあの頃が。
大道君は今、教師をしているらしい。あの大道君が教師になるなんて。大道君の友人はなにやら号泣して、もう言葉にならないことになっていた。
で、感動の再会を果たした二人なのだけど、そんな二人の格好は対象的で。スーツ姿の、いかにも教師然として服装の大道君。一方、髭モジャ髪モジャで、ジャングルからまさに発見されたばかりの日本兵なんじゃねーのか?といった風のその友人。時の流れというものはとても残酷で、人生のワインディングロードは、あの頃の二人をこうも分かってしまったのか。
大道君は、しがみついたように咽び泣く友人に、なんだか困惑しているみたいに見えた。なんだか、ちょっとした物乞いみたいなことになっていた。「600ウォンくれ。」とか言ってそうだった。うん、スーツとか明らかに汚れそうだしね。
感動の余韻から早くも覚めてしまった大道君は、新幹線の時刻を気にしながらも、微妙な表情を浮かべ、ただただそこに立っているのでした。人込みの中で続く二人の再会をその場に残したまま、僕はその場をそっと立ち去った。
、、、いやー、感動の再会って、案外むずかしいもんだな。
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人は比較により世界を認識する動物なのだ。ドーン!
、、、
いきなりちょっとアレな感じだけど、ここに来て変な宗教に被れだしたとか、急にアソコがかぶれて超大変とかそういうわけではないのです。そんなことはまったくない。哲学的なこと考えてたら、案外モテルんじゃないか、と思ったわけでもない。うん、だってそれ外から見えないからね。こんなことブツブツ喋りながら歩いていたら、明らかにヤバイから。
ただ急にふと、「僕らは周囲と比較する事でしか世界を捉えられないのだなあ。」と思ったのですよ。思ってしまったのだからしょうがない(天才肌アピール中)。
だってね、例えばあのラーメン屋がうまいだとか、この子超かわいいとかそんなことだって、それぞれが自分の尺度で比較判断して言っている訳じゃないですか。で、その判断材料は何かと言えば、過去の知識と経験による所が大きいと思うのですよ。
母乳を始めて飲む赤ん坊は、「母ちゃん、今日のいまいち。」とか考えないし、ジャングルブックみたいに生活して他の人間に会ったことがなければ、「うわ、すげー。歴史的ブス大発見だ!」とか思わない。「このジャンルはだいたいこういうもの。」というの基準があるから、それと比べて歴史的にすげーブスとか、すげくねーブスとか、どちらにしろブスとか、そういうことが言えるのだ。
ちなみに、昨日電車で僕の右隣に座っていた女性の方は、もういろんな意味で歴史的に超弩級。まさにメガ豚級で、爆睡するその寝顔がすごいわ、がしがしと寄りかかってくるその体重がすごいわ、なんだかトラウマになりそうなことになっていた。僕はただ小さく丸まって耐えがたきを耐えていた。
けどそれすら、もしも僕が”アフリカの奥地から槍を片手に連れて来られたブッシュマン”で、電車とはこういうものと思ってしまえば、別になんとも感じないのです。「大収穫!日本の電車は豚が取れるぞ。豚ゲットだぜ。」とか言って、槍とか刺しかねない。僕が日本人でヨカッタな隣の人。
「他人がどうだろうと関係ない。自分がどう思うかだ。」とは言ってみても、そのどう思うかは結局のところ、それまでの周囲との比較に依るところが大きい。だいたい、周囲を全然気にせず我が道を行くというのはある意味諸刃の剣で、際立った才能のない一般人が社会性を捨ててそれを目指すと、行き着くところは付き合いたくないひねくれ者だとか、電波な人といったジャンルに驀進することになる。
僕らは無人島に住んでいるわけではなく、程度の差こそあれ、周囲との関わり合いなしでは生きていけない。自給自足している訳ではないから、ニートとか言ってみても完全に引きこもりでは生活していけないのだ。まあ、周囲とのコミニュケーション手段は人によるとは思うけど。
で、僕等が比較することでしか世界を捉えられない以上、昨今流行の格差社会なんてのも、まあしょうがないのかなと思うのです。
だいたい、やれ勝ち組だ、やれ負け組だ、と言って騒いだところで、ここ数千年の人類の歴史の中で見ても、はたまた現代の世界の中で見たとしても、この時代にこの日本という国に生まれた時点で充分勝ち組。
まかり間違えてたら、氷河期に極寒のシベリアに生まれてたかもしれない。ペラペラの毛皮とか羽織って、吹雪の中片手に槍一本で、「今日の夕飯はあのマンモス。まさにメガ豚級だぞ。」とかそんなのに比べたら、もうどう考えても勝ち組なのです。そりゃ、そうだ。
だいたい、格差なんてものは豊かだからこそ存在するもの。だってね、考えてもみてくださいよ。僕がアマゾンの奥地で裸で暮らす部族だったら、ほんと格差とか考えられない。あったとしても、「あなた!お隣さんなんて、今日の夕飯はピラニアが2匹よ。2匹。家は1匹なのに、、」とかそんなとこでしょ。「君のその槍、イカスね。僕のこっちの槍もすごいぞ。」とかせいぜいがそんなところ。
国民全員が大金持ちなんてのは、どこぞのアラブの石油王国ぐらいの話で、豊かになって金持ちが出れば、それと比較して、貧乏人が出る。ぶっちゃけ、金持ちさえいなければ格差など存在しないのだ。そうなのだ、貧しい人をなんとかするより、金持ちをなくしちゃえばいいんじゃね。いやー、こりゃあなんだか世界の核心に気づいてしまったな、オレ天才。とか考え出すと社会主義的革命闘争に、なるのだろうな。
結局、人は比較により世界を認識する動物なのだ。比較対象たる周囲との差が大きくなればなる程に、否応なく現実を感じざるを得なくなるものなのだ。
GWを楽しそうに満喫している人々を見ながら、そんなことを思った。僕の左隣、メガ豚級とは逆のサイドで、いちゃいちゃと戯れ合うカップルを見ながらそう思った。
まじ、槍に突かれてしまえばいいのに、、、。
ほんと僕が日本人でヨカッタな。
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コーヒー豆を買った。
コーヒーが入るまでの時間をぼーっと、、 眠いなあとか思いながらぼーっと、、 で、ふと思ったんだけど、コーヒーってさ、なんかそこだけ文字を切り出すと変だよね。レギュラーコーヒーだとか、ブレンドコーヒーだとか、他の文字が入るとそうでもないのだけど、ほら、、
コーヒー
なんだか”ーヒー”のあたり、すごくマヌケな空間になってない?コレ、まったく伝わらない感じはビンビンするのだけど、僕的にはハリボテっぽくて、あんまりおいしそうじゃないと思う。だって、”ーヒー”だよ、”ーヒー”。どうも全体的に線の密度が低すぎるのが原因なのではなかろうか?
やっぱ、外人の発音っぽくして、
コッフィー
、、、どうでもいいな。
で、コッフィーを飲みました。
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茂吉(仮)に攻められてる。
近頃の老人は元気な人が多い。高齢化社会の問題だとか、老害だなどと、年をとることはよくないことだと考えがちだけど、年をとっても活動的で人生を楽しんでいる人が多いと思うのです。ただ過去を懐かしむだけではなく、現在の生活をエンジョイする。言うなれば、今を生きている人が多い。毎朝、鏡の前で見る死んだ目をした若者と比べると、ほんと、老人といえど侮れない。
で、近所に住むお爺さん、茂吉(仮)。夜中に家から締め出されてしまうような、お茶目でやんちゃな茂吉(仮)。彼は、年をとっても新しいことに挑戦する、そんな気概を忘れない老人なのです。僕も見習いたいものだ。
そんな彼のこの春のトレンドは、たき火。うん、春なのに、たき火。
理由はさっぱりわからないけど、ちょっと前に茂吉(仮)なんだかやらかしちゃって、夜中に扉叩いてたじゃない。締め出されて「頼む、頼む、、」と叩いてた。それで、彼なりに考えるところがあったのだと思うのですよ。「このままじゃ、ワシャ、この家から追い出されるかもしれん。あの鬼嫁に、みつ子に追い出されてしまうかもしれん。ここを出たら、ワシャ、もう行くところがないんじゃ。野垂れ死にじゃ、茂吉(仮)野垂れ死にじゃ。」なんて思っちゃったんじゃねえのかな。
そんで俄然、家族に対して役立つとこアピールしだした。なにせ、”自分の近未来がかかっている!”と思い込んでるもんだから、もう大変なのですよ。ここの所、家の横の空き地で、もう、ゴミを燃やしまくり。もう毎日のようにたき火。狂った様に、オナニー覚えたサルのようにたき火。そんで、家庭ゴミを燃やすの。
想像するに、、
「みつ子さん、ゴミがいっぱいじゃない。どうなってるの、、」 「お義母さん、すみません。ああ、、なんてこと、ゴミの収集日は今日だったのに、、どうすればいいのかしら、、」 「次の収集日まで、このゴミと暮らさないといけないのかしら、、そんなの嫌だわ、私。」 「ワシにまかしとけ!」 「お義父さん、、でも、、こんな大きなダンボールもあるの、、無理だわ。」 「あなた、これはさすがに、、」 「いやいや、どんなゴミが出ても大丈夫じゃ。ワシが命をかけて燃やすからな。ハハハ。」
たちまち燃え上がるたき火、たちまち燃え上がるゴミ。
「お爺ちゃん素敵。」 「やっぱり、あなたがいないとダメだわ。」 「惚れ直しちゃう。」 「私も、、ヒロシさんなんかより、ずっと頼りになるわ。」 「ワシャ、恋の炎もつけてしまったかな、ハハハ。」
、、、
まあ、空き地で細々とやっているわけで、そんなにたちまちは燃え上がらないし、当然、火力も上がらない。で、家庭ゴミを無理やり燃やすもんだから、ちょっとビニールっぽいものとかも入ってたりするし、ブスブス燃える。「大島美幸か!」っていうぐらいに、ブスブス燃える。結果、あり得ないぐらいに煙が、、
たとえ世界のどこかでサルがオナニーしても、そんでもって衰弱死するまで頑張っちゃったとしても僕に被害はないけれど、茂吉(仮)のオナニー(=たき火)は飛んでくるからね。ものすごく飛ぶ。臭い匂いと共に飛ぶ。もうもうと上がった白煙のせいで、風下にあたる僕のアパートなんて言わばちょっとした燻製ですよ。プチ火あぶり。地上げ屋の嫌がらせみたいなことになってる。
最近では、環境問題だとかがうるさくて、たき火なんてするとダイオキシンが出て困るなどと、テレビでもよく言われているじゃないですか。生物濃縮だとか、子供たちの世代に影響が出るなんて言われる。
でも、ぶっちゃけ茂吉(仮)には、もう遠い未来のことなんて関係ないからね。そんな先のことは全然関係ない、ダイオキシンなんて知ったこっちゃない。それよりも、今の家の中での自分の存在意義、茂吉(仮)レゾンデトールをかけた魂のたき火なのです。その火を誰が消すことが出来ようか、、、
そんなわけで、夕方になると狼煙のように上がる茂吉(仮)の煙を見ながら、今を生きる老人というのもいろいろと考えものだよなと、しみじみ思ったのでした。
もう、それで自分を焼いちゃえよ、、、
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「頼む、開けてくれ、、、」
先日、夜中に家に帰る時のこと。「今日はまたなかなか素敵な月だなあ。」などと思いながら歩いていると、近所の平屋の入り口にお爺さんがぽつんと。「頼む、開けてくれ、、、」と言いながら、ドンドンと扉を叩いているのを見た。
「頼む、お願いだ、開けてくれ、、、」ドンドンドン、「お願いだ、、開けてくれ、、」ドンドンドンドン、、、「頼む、頼むから、、」ドンドンドン、、
「頼む、頼む、、」と連呼しながら、老人が夜中に一人、必死になって扉を叩く様は、ある意味、というより明らかに老人虐待みたいなことになっている。茂吉(仮)、一体あんた何やらかしたんだ?
年を取り人生も終盤戦に入ると、人は皆丸くなってしまうものだ。”その歩みを止めた時、人は年老いていく。”とかのアントニオ先生もおっしゃられていた。なのにここに来てもなお、家から閉め出されるなんて、どこぞの門限破りの高校生かよ。
茂吉(仮)の人生はなんとドラマチック、なんて波乱万丈。ほんとに羨ま、、うん、それはないな。残念ながら僕はまったく力になれないけど、心の中では君を応援しているぞ。僕の心は君と共にある。頑張れ茂吉(仮)。負けるな茂吉(仮)。茂吉(仮)、ビーアンビシャス。
そんな彼を、月がやさしく照らしていた。
結局、入れたのかどうかは、とんと知らないけどな。
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久しぶりに自分のブログを見たら、なんだかわけの分からないことになっていた。
やっぱり僕も、これでも一応社会人だから、仕事が忙しかったり、はたまた恋のかけ引きやら、感動の友情物語やら、選挙戦やらにてんやわんやだったり、そんで主にはというより唯一、仕事が忙しかったりすると、ブログとか忘れるよね。完全に忘れる。
で、たまにはブログでも更新するかな。ほとんど閲覧者のいないこのブログだけど、たまには更新してみるか。正直、もう、見ている人がいないとか、最近は完全にどうでもよくて、そりゃあいる方がいいけど、見ている人がいなくても萌えるよね。といった、完全にマスタベーションみたいなことで、かいてる。マスタベーションだけに、かいてる。
でもまあ、なんたって世の中、何が起こるか分からない。もしかしたら、たまたま更新したこの文章を読んで、日本に留学中のどこぞの国のお姫様(美人、スレンダー、仲間由紀恵似)が、突然忽然と僕にベタ惚れなんてこと、ないとは限らない。お姫様に惚れられるような、「キャ、素敵。抱いて。」と思われるような文章を書かねば。知性と教養がドロドロと滲み出てくるような、そんな内容を書くぞ。
そんなことを思いながら、ふと、「そういえばここの所、どんなことを書いてたんだ?」と。自らのアイデンティティーを再認識する為に、前回の日記を読み返してみた。やっぱり、コロコロと自分の意見が変るような人間は信頼されない。気をつけねばならない。これまでの格調高い文章に、違和感ないように今回も更新しなければ。
そんなことを思いながら読み返してみたら、酷いんだ、これが。
もう、完全にいかれちゃってるの。自分で読んでも意味がわからない。どうも口裂け女について、僕のこみ上げる熱い想いを、現代風に、ちょっとした小室哲弥風にアレンジして、インターネットにぶちまけたかったような、そんな記憶がうっすらとある。あるんだけど、正直、口裂け女以前に、文章がばっさり裂けちゃってるよ。
なんかシリーズものの小説みたいなのを書いている。ちょっとした教養人っぽい感じを出そうとしたっぽいんだけど、酔っ払って書いたもんだから、やたらと”キムチ鍋”やら、”軟骨から揚げ”をフィーチャーしてる。お腹減ってたんだな、ということだけがひしひしと伝わってくる。で、全体的に意味不明。
挙句の果てには収集がつかなくなって、途中でめんどくさくなって、夢っぽいことでごまかしちゃえ、などと思ったのだけど、ごまかしている途中で、そもそも文章を書くのもめんどくさくなっている始末。このサイト読む人が絶滅の危機に瀕しているのも、至極納得の内容なのです。西表ヤマネコよりやばい。こりゃあ、ダメだ。
でもね、、
でも思うのです。それは違うのではないかと。僕は自分の楽しみの為、好きでこのブログを書いている。文章を書くのが楽しいから、このブログを更新しているのだ。
そう、だから、あんなこと書いてしまったとか、こんなことを書いたら誰かが読んでくれるんじゃないかとか、これを読んだ仲間由紀恵から「キャ、素敵。抱いて。」なんてメールが来たら初デートはどこに行こうかだとか、やっぱりインドア派かな、映画?でも意外とああ見えてアウトドア派かもしれないぞ。こっちは引きこもり派だしな、だとか、そんなことをウジウジと悩んでいるのは筋違いだと。僕らしくないぞ。
そう、自分らしさというものは、そもそも探して見つかるものじゃなくて、生まれてからこれまでに自分が人生で得た知識や、経験、そんなものの集合として内面から自然と湧き出てくるものだ。間違っても、”これが本来のあるべき姿”なんて枠がもともと決められているわけではない。人はみな、それぞれがそれぞれの人生を送っているわけで、個人個人みな、ありのままそのままで、充分自分らしく個性的なんだ。
だから、いいんだ。これでいいんだ。自分が思いついたこと、書きたいことを、自由に。ジュウザのように、雲のように自由に。それが自分らしさなんだ。そう思うと、これはこれで、なかなか味があるよね。前回の日記を読みながら、そんなことを思った。
それにしても、「東京メトロで、メトロン星人退治だ!!」とか、親父ギャグにもならないことを、自信満々で言っていたんだな、昨日の自分。そんな素敵な程に逝ってる様を見るに、これはある意味羞恥プレーに他ならないなと。
でもって、自分らしさが羞恥プレーって、、
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口裂け女って打とうとしたら、口酒女になったよ。
こりゃあ、かなりの酒豪、そうとう飲むね。
、、、でもって、”そうとう飲むね” は ”相当の胸” に。
僕は、あんまり胸はでかすぎない方がタイプです。
なんだか暖かくなってきましたね。
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信号待ちの歩道にて。
並んで立つ二人の若者。無言で信号を待つ二人。
唐突に一人が口を開き、
クロメガネ 「お前さあ、町並みとかって好き?」
デカ 「、、うん、まあまあ。」
僕 (まあまあ、かあ。)
町並みフェチズム。駆け抜ける風は春のリズム。
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久しぶりにハヤシライスを食べた。
そういえば高校生の頃、僕はハヤシライスばかりを食べていた時期がある。どんな店に入っても、そこのメニューにあるならハヤシライス。むしろ、積極的にハヤシライスのある店に行っていた。昨日も食べたとか、これで3日連続だとか、そんなことはまるで気にせず、だたひたすらに食べ続けた。
そりゃあもちろん、僕はハヤシライスが好きだ。あのソースとマッチしたトマトの酸味、あの味を思い出すだけで、こうしていてもよだれが出てくる程に。ほんとにハヤシさんは偉大な人だとも思う(ハヤシさんが作ったのかはもちろん知らないけど)。
なのだけど、当時の僕を駆り立てていたのはそれだけではなかったようにも思う。カレーに比べて、いまひとつメジャーの座に上りきれない感のあるその存在。そこに判官びいきのような、はたまた一昔前のタイガースファンのような心理が働いたのかもしれない。みんなハヤシライスの良さが全然、分かってない。だから僕が支えてやらなければ、応援してやらなければ。そして、いつかカレーを越える日がくるハズだ。だって、ハヤシライス、こんなにうまいのだから。
結局、どんな経緯を辿って始まったのか、今もってさっぱりわからない僕のハヤシライスムーブメントは、同じく、どんな経緯を辿ったかよくわからなままに消えていった。そんな出来事があったことすら忘れてしまう程に。
それから10年以上も経ち、依然としてハヤシライスのポジションって変らない。ふと入った店で久しぶりにハヤシライスを食べながら、そんなことを思い出した。
だからどうということもないけど。
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、、、ぐさっ、、
ってなんだかいい。すごくいい。これが、ここ数日のマイブームだ。日常に潜む狂気や、現代に蔓延る無力感、容易に壊れてしまうこの世界の無常感。そんなこんなを全部ひっくるめての『、、、ぐさっ、、』なのだ。
、、、ぐさっ、、
、、、ぐさっ、、
、、、ぐさっ、、
なんかすごいことが起きてる感じしない?
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賞味期限の切れたコンビニのおにぎり。
「あっ、食べるの忘れてた。」なんてことありますよね。でも、ちょっとぐらいのオーバーなんて、保存料がたっぷり入ったコンビニのおにぎりなら問題ナッシング。充分食べられるのです(まあ、根拠は全然ないけどね。)。若干ご飯がパサパサしてしまうことだけが玉に傷だけど、そんな場合はいっそ煮てしまえばいい。
鍋にお湯と鰹節、んで酒とかみりんとか醤油とか適当にぶち込んで、おにぎりを煮る。時間はお好みで。ちょっとした雑炊完成。シーチキンおにぎりとかでも、意外といけるんだよね、コレ。お腹もふくれるしさ。
ほら、今は”もったいない”の心が重要といわれる時代じゃないですか。環境にやさしい、エコライフが求められる現代。だから、おにぎりを無駄にしないこの生活の知恵ってすごいよね。僕としては得意気に知り合いに話した、”割とやりくり上手だね”的なお褒めの言葉を期待しながら話したら、
「もったいないなら、賞味期限切れる前にきちんと食べろよ。」って。
そりゃそうだ。
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終末の週末、週末の終末。音は同じだけど意味は全然違う。
、、、
前者は、緊迫感あふれるSFのイメージ。
週末に浮かれる人々。しかし、実はその裏では密かに忍び寄る宇宙からの侵略者の影が。その危機にいち早く気づいたFBIのデイビス捜査官(通称ボブ)は、この驚くべき事実をその上司スタイン(通称ミッチェル)に報告する。しかし、週末のキャサリンとのデートプランの立案に余念がないミッチェルには、まったく相手にされず。
「地球侵略だって?ボブ、何を言っているんだ。今日が何曜日か分かっているのか?もう週末だぜ。お前の言う宇宙人とやらも、この休日にどこに行くか、家族サービスで地球侵略どころじゃないハズさ、ハッハハハ。」
頑張れ、ボブ。終末を防ぐその為に。地球の未来は君の手にかかっているぞ。
、、、
一方後者は、日曜日の夕方のイメージ。
もうすぐ週末も終わりだなあ。そんなことを思いながらちょっとブルーになる。テレビからは笑点の音楽が。
「チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。」「おーい、山田くん。木久蔵さんの座布団全部持ってっちゃいな。」
一見、平和に見える休日の風景。
しかし、騙されるなボブ!実は歌丸は地球侵略を企む火星人だったのだ!!
、、うん、それないね。
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あまり語彙がない。
、、、
「君はすぐにゴリラにたとえるよね。」
ふと知り合いに指摘された。その時、僕達はちょうど昼ごはんの真っ最中で、僕はエビカレーの、それこそハイライト。まさにエビフライを口に入れんとするところだった。そんなところにビシッと、それこそ打者の急所をえぐる、西本聖投手のシュートのようにズバッと、目の前の知り合いに指摘されたのだった。
全然意識したことはなかったけれど、そうかもしれない。言われてみれば確かにそうだ、と思い当たる節がある。そう、認めたくはないけれど、僕はあまり語彙がないのだろう。
だから、なにかごついもの、怖いもの、強そうなもの、馬鹿そうなもの、話の通じなそうなもの、バナナの好きそうなもの、胸とか突然叩き出して吼えたりしかねないもの、、そんなものを見ると、なんでもすぐにゴリラと思ってしまう。
僕は、すぐになんでもゴリラにたとえてしまう人間、言うなれば、ゴリ貧なんだ!
ドーン(効果音)!
、、、
、、
、
ま、、いっか。
で、残りのエビカレーを食べました。
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日曜日のこと。
気だるい休日の昼下がり、風は冷たいけれど、なかなかの散歩日和だ。少し厚着をして、普段より一本裏の通りを歩く。路地裏に微妙な喫茶店を発見。通りに置かれたその看板には手書きの赤い文字で、
喫茶店「アムール」
(フランス語で恋人達の意。)
、、、
、、、、、
()の中の説明いらないし、意味もなんだか間違っている模様。
いろんな意味で微妙な喫茶店「アムール」のその店内では、マスターが一人、真剣な眼差しで、一心不乱に競馬新聞を読書中。その微妙さ加減にはかなりぐっときたのだけど、そのまま微妙に通り過ぎた。
微妙な休日の1コマ。
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ドリトスのチェダーチーズ&ハラペーニョ味を食べる。
っていうかさ、チェダーチーズもハラペーニョもなんだか知らねーよ。なんだそりゃ?喰い物なのか?たぶん、こんな感じで決まったんだ。
、、、
ある企画会議の一室にて、、
ちゃらんぽらんな上司と、真面目過ぎるところがたまに傷な部下がなにやら相談中。部下は、なにやら分厚い企画書のような書類を広げ、上司に自分のアイディアを熱心に説明するも、上司はいまいち上の空といった感じ。
「次のドリトスの新味どうするの?」
「チェダーチーズ味なんてどうでしょうか?」
「チェ、チェダ、、なにそれ?」
「チェダーチーズです。チェダーチーズ。チェダーチーズというのはですね、イギリス東南部の町チェダーが名前の由来なんです。チェダリングという堆積工程を経ることによって形成される特有の緻密な組織が特徴で、ゴーダチーズよりやや強い酸味と独特の旨味を持つ。生産地名を付してニュージーランドチェダー、カナディアンチェダーなどが各国で作られ、色調も淡黄色から黄色まで多様、、」
「、、、分かった、分かった、、もう、話長いよ。そんなの普通の消費者にわかんないよ。小中学生とか、いきなり”ああ、今日はなんだかチェダーチーズ食べたいなあ”なんて思わないからさあ。もっと柔らかく、頭柔らかくして考えなきゃ。」
「柔らかくですか、、、」
「そうそう、腹減ってつい食べちゃうみたいな、、あんまり理屈っぽくない感じの名前でさ、、別にそんな食材ほんとはなくてもいいから。」
「はあ、理屈っぽくない感じですか、、そういうのはちょっと、、」
「なんか腹ペコペコで、つい食べちゃうみたいなさ、、ちょっとメキシコっぽい感じも入れてなんかないかな?適当にニャとかニョとかつけときゃいいじゃない。」
「、、ハラペーニョ、、」
「え、もう一回?」
「、、、ハラペーニョ、、なんて、ねえ、、、」
「それ、頂き!!」
この日、この歴史的な日に、人類史上初めてチェダーチーズ&ハラペーニョ味が誕生したのでした。でも、それはまた次のお話。
、、、
腹ペコペコにニョとか付けときゃ、メキシコっぽいだろみたいなことだと思っていら、実はこんな子。知らないってのは恐ろしいなあ、としみじみ思うのでした。
ちなみに、種を植える深さは”7ミリ”、種を植える間隔 は”種を2つ45センチおきに植える”らしいです。どうでもいいけど、、
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『堂々、新登場!!』 ってなにやらとても偉そうだ。
、、
日本人の美徳はその謙虚さにあったのではなかろうか?別にほんとにゴミと思っているわけでなくても、「すいません、つまらないものですが。」などと言う。欧米人から見たら、なんて卑屈ななどと思ったりするんだろうけど、自己主張ばかりを前面にださない日本人のそういう姿勢は、場合によっては決して悪いものではないと僕は思う。
”自分をしっかりアピールしないと”みたいな考え方が、最近の日本の悪しき風潮、”自分が良ければそれで良い””他人のことなんか知るもんか””とりあえずやらせて”といった、実に直情的な嘆かわしい世相に現れているのだ。だからこそ、今求められるのは、謙虚な姿勢。一歩引いた、驕りのない気持ち。コレ大事。
売れればそれで良い、といった会社の利潤だけを追求する社会構造が、起こった問題の隠蔽や偽装といった、近頃よく目にする事態の源泉なのだと思う。僕が『堂々、新登場!!』に感じた違和感も、たぶんそれなのだ。
だから、これからは、
びくびく、新登場!!
(リコールあるかもよ。)
、、、買わねーか、、
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年末に実家から送ってきたみかんの箱。
その下の方の奴らがになにやら黄色くない。「あれ?おかしいな。」っていうか明らかに違う、完璧に白い。不二家もびっくりと言う程の、流行の細菌汚染問題が僕の家でも急浮上したのです。とてもちょっとした賞味期限切れってレベルじゃないし、喰えるとは絶対に思えない。だからきっぱりと言ってやった、
「お前らなんて、腐ったみかんだ!!」
、、
まあ、見たまんま100%そのまんまだし、言ってみてもなんにも解決しないことにうすうす気づいてきたので、深夜に一人黙々とゴミ袋に詰めた。ほんとに捨てるしかないし、汁がブシュ。腐ったみかん汁にまみれた僕は、なんだかとてもせつなくなったのでした。
すごく性質悪いな、リアル腐ったみかん。
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最近、凄惨な事件が多いですね。
、、、
頭にバラバラとつけると、なんだか凄惨になるなあと。
バラバラ殺人。
バラバラ遺体。
バラバラになった家族。
バラバラなみかん。
バラバラなんだよ、お前は!ほんと腐ったみかんだな。
バラバラな心
バラバラにしてやったよ、あいつ。
バラバラ状態。
バラバラになって当然よ、そうそれがあなたにはお似合いよね。
バラバラになっても、私達のこと忘れないでね。約束よ。
バラバラなファイル。
バラバラがどうしったっていうんだ。感傷的になるな。
バラバラって、どうせみんな最期はバラバラだろ。
バラバラな印象。
バラバラなブログ。
バラバラな文章。
バラバラ書いてても、これ終わりとかなくねー。
バラバラ、バラバラ、うるせえよ。マジ。
バラバラがたくさん並ぶと、なんだか気持ち悪くなりますよね。
バラバラ、、あっ、、
バラバラ、、言っちゃえよ、、
バラバラ、、もう、それしかないって、、
バラバラ、、、勇気を出して、さあ、一歩前へ!
バラバラなブタバラ。
バラバラ、バラバラ、、、バラバラバラバラバラバラバラバラ、、、
、、、
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カステラか、、でか! で、空手すか?
、、
大きなカステラを一人で食べるという、微妙な試練に新年早々から遭遇した僕。正直、甘いものはあまり得意ではない。しかし、そこはこちらも百戦錬磨。気持ちの乱れを表に出さない様、細心の注意を払いながら、必死の思いでカステラを食べきったのだった。だが、一難去ってまた一難。安心するのも束の間とばかりに、組織からの新たな刺客、虎殺しの権蔵(37)が。平静を装い、「空手すか?」などと軽口を叩くものの、その実、動揺は隠しきれない僕。そんなこちらの様を眺めながら、殺し屋権蔵(37)は不適な笑みを浮かべるのだった。
かすてらかでかでからてすか
で、誰だよ、殺し屋権蔵(37)って?
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ここのところカステラばかり食べている。
、、、
正月、実家に帰省した帰りに、爺さんからお土産の入った袋を持たされた。
他の家の爺さんについてはもちろん知らないけれど、おそらく多くの爺さんがそうであるように、家の爺さんもそういったことにまったく気のまわるタイプではない。「ちゃんと食事してるのかい?ちょっと痩せたんじゃないかい?これお土産に持って行きなさい。」なんて言うのはもっぱら婆さんの役目で、爺さんはその横で「何事も一生懸命やらないとダメだ。」などと人生訓なんて垂れているもんだった。
その婆さんが亡くなって数年。
正月休みも終わり、家に戻る前に爺さんの所に挨拶に行ったら、その爺さんが「ちょっと待て。」。なにやらゴソゴソしていたかと思うと、「これ、持って行って食べなさい。」などとぶっきらぼうに言って、袋を押し付ける様に渡された。
そんなこと今まで一度もなかったので、すごくびっくりしたけれど、なんだか嬉しくて「ありがとう。」。素直に言ったら、爺さんも照れくさそうに笑った。帰りの電車で、袋の中身を見たらそれはカステラだった。流れ行く窓の外の景色を見ながら、なんだか目頭が熱くなった。
、、、
週末、とにかく腹が減って、家にはなんにも食べるものがないので、コンビニにでも行こうかと思っている時にふとそのことを思い出した。
こんな時に食べるのもなんだけど、こんな時に食べないのもなんなので、そのカステラを開けた。爺さんにもらったカステラ。中にはでっかいのが二本も入っていて、こんなに一人暮らしで食べきれないよ、と思うと、そんなところが爺さんらしいと少しおかしかった。
行儀よくはないけど、いつもより大きめに切ってかぶりついた。口いっぱい広がるカステラの味は、思ったよりさっぱりしていて、ほんのり甘くておいしかった。すきっ腹にはあまり合わない味ではあったけれど。そう言えば子供の時分に、こんな風に一人でカステラ一本食べてみたいと思っていたなあ。ふと思い出した。まだまだ大分、カステラは残っている。
そんなわけで、ここのところカステラばかり食べている。少しぱさつくこのカステラばかり。
賞味期限が去年の10月で切れているというショッキングな事実と共に。
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コーラのあかが僕を呼んでいる。
あのあかが、狂おしいまでに僕の頭の中に語りかけてくるのだ。さあ飲め、早く飲め、がぼがぼとその五臓六腑にカフェインを喰らうのだと。自販機の前にたたずむ僕は、その誘惑の前にあまりに無力で、、ガチャン、、
そんなわけで今日も飲んでしまうのです。
あのあかには人を狂わせる魔物が住んでいる。
、、、
全体的に、意味のないことを書きたいブーム中。
高温・直射日光をさけてください。
開栓音が大きい場合があります。
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スキーに行ったら猛吹雪。
、、、
停車中の電車。ふと窓から外を見る。
人ごみの向こう側、向かいのホームに駅員さん一人。なにやら1メートル位のコードの様なものを持ったまま、しきりと電車の上の辺りを見上げている。コードを見て、電車を見上げ、またコードを見て、電車を見上げる彼。
やがてせかすようにベルが鳴り、向かいのホームの電車はそのまま出発。ホームにたたずむ駅員さんを見送りながら、僕の乗った電車も出発。
うん、なんにも見なかったことにしよう。
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最早、冬休みではない、、。
、、
素直に来週の火曜まで休みにしてくれればいいのに、、。まったくやる気の出ない、そんなダメ人間っぷり全開で今年も鮮やかにスタート。偉い人の話を聞き、そんで微妙に働いているふり。僕はスロースターターなので、日向君の様に、冷酷にもいきなりセンターサークルからタイガーショットをぶっ放したりはしないのだ。だからパソコンに向かってウインドウを開いたり、閉じたり。キーボードを打ってみたり。新規ファイルを作ってみたり。
”人生は芝居だ”とシェークスピアは言うけれど、働いているふりを演じているのも立派に人生なのだ。演技だよ、演技。僕も、なかなかの役者だよね。ちなみにこれは、年末に見た『役者魂!』の顕著な影響で、今、役者な自分が自分の中で小さなブーム。人生は何が起こるかわからない。そんで松たか子、かわいい。
途中、そんな演技派な僕も、さすがに演技にちょい飽きたので、小休止してこの辺を覗いていたら、後ろから僕が上司に覗かれるというちょっとしたアクシデント。12年間座らずに過ごすDas氏を見ていて、職場に僕の座る席がなくなったら、それこそ洒落にならない。
でも、僕ぐらいのレベルになると、上司に何も言わずにスルーされたので、こちらも一切言い訳しない。今年の目標である所の”潔く生きる”を実践。「彼も分かっているじゃないか。恐れているな、このジャックナイフと呼ばれた僕を。」などと妄想に浸り、自分を誤魔化したのでした。だから人生は何が起こるかわからない。
、、
で帰路、初めて入った近所の蕎麦屋の店員さん、ちょっと松たか子似でしかも巨乳。しかも、僕が店に入るやいなや、その子が笑顔で話しかけてきたのですよ。「いらっしゃいませ。」って、、。「きっと惚れられたな、これは。」などと妄想しながら、不味いにも程があるなにやらとても風変わりな風味の蕎麦喰って家に帰った。ほんと人生は何が起こるかわからない。
けど今日一日で、なんとなく今年一年も演じる役は分かった気がする。
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あけおめ。ことよろ。
、、、
せっかくの正月、実家にずっと籠もって、酒飲んで、テレビみて、ネットして、寝て、なんて生活しているのもどうなんだと、とりあえず出かけてみることに。一年の計は元旦にあり。なんと言っても1月2日なのだ。
”帰省した実家でお湯が出ない”というちょっとしたトラブルが発生したことにより、お風呂に今年はまだ入ってないし、頭は寝癖ってレベルじゃねーぞといった風だ。ちょっとありえないぐらいにぼさぼさなんだけど、そんなの帽子をかぶればいいじゃない。コペルニクス的発想の転換で難局を乗り切る僕、年始から超クールだ。これは今年は時代来たな。そんで、髭ぼうぼうな所は気にしない方向で。身が引き締まるような一月の風を感じながら、今年初めての外出。とりあえず、家の最寄のバス停に並んで、久しぶりにバスに乗る。
それなりに混雑した車内。迷わず最後尾の席へ。隣は30代後半と思わしき男性の二人づれ。片方は、僕に勝るとも劣らず、頭ぼさぼさで髭ぼうぼうの荒武者。しかも、廃業した相撲取りの様なその体型は、明らかに正月なんて気にしていない、自分らしさがブレてないな。
もう一人は、7・3分けにメガネの典型的サラリーマン風。スーツびっちり着て。もう、今からこの格好で通勤してもおかしくないぞ。というより、この格好で真っ昼間にバス乗っていると、リストラされて、家族にそれを言い出せないサラリーマンみたいだ。
しかも、二人が揃うことで、パータッチの如くその威力は数倍に。そこに、さらに僕も加わって、、
家族連れやら、着飾った恋人同士で溢れるこのバスの中で、僕も含めてこの最後尾の席だけが、どうにもまったくそぐわない。正月らしさが微塵も感じられない。
「まったく浮かれやがって。平和ボケしちまったな、この国は。」などとアウトローっぽい妄想に浸り、自分を無理やり納得させていたのでした。ジャングルで白衣着て戦うゲリラぐらい浮いてたもんな。でも、そこは歴戦の勇士。隣の二人なんてそんな周囲とのギャップに戸惑うことなく、普通にVISTAがどうしたとかでなにやら議論してた。
そこでふと気付いたのです。隣のメガネさんの声、コレどこかで聞いたことがあるぞ。でも、その外見を見るに、僕の酔っ払った灰色の頭脳をフル回転してみても、まったく引っ掛かってこない。「ひ、ひどい、あの夜のことは何だったの?私の髪、素敵だって褒めてくれたじゃない。お腹の子のことはどうするのよ、一体?」って言われるぐらい、全然覚えが無いぞ。
だいたい、どこかで会ったことあるなと思う場合って、今すぐにでも出そうなのにどうにも出ないもんじゃないですか。便秘が数日続いてトイレに入って、もう出ない訳がないのに、あとちょっとなのにきっかけがない。そんな風に、喉まで出かけているんだけどと、もやもやするもんだ。けれど、この人にはまったく接点なさそうだぞ。あれ?
そこで、思い出した。一豊だと。
昨年、唯一見続けた連続ドラマ"功名が辻"。まあ100%、千代役の仲間由紀恵目当てだった訳だけど、由紀恵ちゃんかわいいよねホント。で、紅白の司会に大抜擢される彼女を尻目に、「なんで白組の司会は、俺じゃないんだ?」そのもう一人の主人公、山内一豊役の上川隆也さんの声なんだ、この隣の人。ビジュアルは水と油程に違うけど。
その様は、ものまねとかで頑張って作っている声ではまったくなく、通常のしゃべり声が完璧に一豊。このバスの中で突然「千代、、」とか言い出してもまったく違和感ない。その一豊が「最近のマイクロソフトは、、」なんて言っているんですよ。どうやら一豊はMac派で、隣の遭難した相撲取り(アンチMac派)と論争しているらしい。
Mac愛を得々と語る一豊。なかなかシュールだな。「Macがいないと喜びも、感動も感じられないんだ。キミは正に僕の千代だ。」なんて家で言ったりするんだろうかと思い、一人楽しんでいたんだけど、その間にも二人の議論は次第にエスカレーション。
遭難した相撲取りが、要所要所でMacに駄目出しするもんだから、一豊がヒートアップして、だんだん”朝まで生テレビ”みたいなことに。「それは違うでしょ。全然分かってないよ。」とか激しくエキサイトしちゃってるよ。
”正月から、なんなんだこの人達は!”的な周囲の視線。”なんとかしろよ!!うるせーな。”的なその冷たい視線を感じながら、相撲取りがぼそぼそとしか話さない為に、どうやら僕も彼らの仲間に見られてるんだという理不尽な現実に気付いた僕は、ただただ震えるしかなくて。
ほんと、こんな功名は嫌だ、外出はこれだから嫌だ。
「一年の計が元旦にあるなんて、もう信じないぞ」と決意を新たにする、2007年正月なのでした。
なにはともあれ、今年も世界がいい年でありますよう。
(主に、僕、重視で)
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今年の汚れは今年の内に。
スーパー銭湯に行った。同じようなこと考える人が多いらしくて、午前中から以外な混雑を見せるスーパー銭湯。ジャグジーやら、サウナやら、電気風呂やら、どの風呂も人がいっぱいでいまいち休まらない。やっぱり、広いお風呂、手足を伸ばして入りたいじゃないですか。のんびりと入りたい。体育座りで銭湯なんてありえない。
と、きょろきょろ見回すと、なにやら空いているコーナーがあるのに気付いたのです。なにやら、お爺ちゃん一人しか入ってない。隅っこの方の、日替わり”本日の風呂”みたいな所。「おっ、空いてるじゃん。」
ゆっくりお湯に浸かって、手足を伸ばす。やっぱり、風呂は休まるなあ、、って、なんだかおかしい。なんか臭うんだ、ココ。横の壁を見ると、
”本日の風呂” 、、昆布湯。
、、あ、そういうジャンルなんだ。やっぱり冬は、昆布で出汁ちゃんと取って、体温まるよね、、って、鍋物の具じゃねーぞ。
ありえない。絶対体に良いと思えない。ネタ切れで、忘年会に鍋食いながら考えたとしか思えない。僕が混乱するその横では、ほんとに出汁が出そうな、爺さんが「ごくりゃく、ごくりゃく。」って。
、、上がったら、体、むしろ臭くなった。
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正夢を見た。
基本的に霊感とかない方だ。幽霊なんて見たことないし、妖怪に襲われたこともない。UFOに誘拐されたこともないと思うし、宇宙神からの電波が届いたことも残念ながら未だない。オカルト関係はとても好きなんだけど、その存在についてはどちらかというと懐疑的だ。だから、占いとかも微妙。
だって例えば”さそり座のあなた、今日はあなたのラッキーデー”なんて日に、さそり座の人、世界中でかなりの数死んでるからね。それこそさそりに刺されて死んじゃう人もいるに違いない。これ、どんなラッキーだよと。
今日のご飯もろくに食べられない、腹ペコのアフリカの子に、”あなたの本日のラッキーアイテム”とかお前は言えるのか?と問い詰めてみたい。運命ってロマンチックなようで残酷な考え方だと思うし、星座なり血液型なりが同じだけの不特定多数の人が運命共同体ってのも、社会主義っぽくてなんか嫌だ。
虫の知らせ的な微妙な超能力はあったらいいのにとは思うけど、昔からテストのヤマカンなんかは必ず逆に出る。逆に出るだろうと、さらに逆にして、やっぱりダメ。で、その裏をついて、さらに戻して、ダメ。その裏の裏をついて、、、。もう、何がしたいんだか自分でも分からなくなったことがある。
そんな僕が、そんな僕がですね、なんと正夢を見たのですよ。
こんな夢、、 真っ暗な部屋の中で、うつぶせに突っ伏して、苦しみながらのたうち回る僕。胸を押さえて、口からなにやら吐く。ジャージャーと。もうあんまり寿命、長くないのかも知れないな、これも運命か。ぼんやりした意識の中で、そんな想いが脳裏をよぎる。バカ、弱気になるな。弱気になっちゃダメだ、、、
細部まで妙にリアルな夢だったな、と朝起きたら、
寝ゲロ。
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いつもより少し早い朝、駅のホーム。
冬の凛とした空気の漂うプラットホーム。ラッシュアワーにはまだ幾分早く、まばらな人影。虚ろな目をした大人達が電車が来るのを待っている。そんなホームの端を、跳ねるように歩くカラスが一羽。朝日を浴びて悠々としたその姿、その目にみなぎる生気。「いつになったら、都会のカラス達は人間を襲い始めるのだろう?」などと読んだのはどの小説だったかな?とぼんやり考えてみる。それにしても、一体、カラスに僕達はどんな風に見えているんだろう?
いくらカラスが鋭い嘴と爪を持っていると言っても、さすがに人に力ではかなうまい。その点、カラスにとって人間は恐ろしい化け物ではあるのだろうけど、それも捕まった場合の話。朝から疲れた顔のサラリーマンの横で、小気味よく飛び跳ねるカラスを見るに、おそらく「ふん、お前ら鈍亀共に捕まるかよ。」といった感だろう。そこには野生に生きる動物特有の、相手と自分との能力を比較する冷酷なまでに客観的視点と、自分のその能力に対する強い自負が感じられる。このホームの上で、一番強く生きているのは、多分この一羽のカラスだ。
僕達人間は周囲の環境を変え、それなりに安全な街を作り、この近代文明社会にどっぷり肩まで浸かって生きている。それは素晴らしいことではあるけれど、反面、その快適さ故に”野生の動物が持つ生きることに対する貪欲な姿勢”が、確実に僕等から失われている。それはまるで、閉じた手のひらからゆっくりとこぼれ落ちる砂の様に。
都会に生きる僕達(野生との対比において、日本に都会でない場所なんてほとんどないと思われる。)には、カラスにとっての人にあたる存在はいない。強いて上げるなら、人にとっての天敵は、まぎれもなく僕等人間自身だ。カラスから見た人間の様に、人間である僕にとって力が強く恐ろしい化け物。カラス達の様な冷酷なまでに客観的視点で見て、愚鈍なその化け物って、
、、、イメージ的に、曙かな。
もちろん、僕は曙を前面的に応援しています。
大丈夫、今年のK-1は相手の方が化け物だから、、
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飲む機会が多い年末、もう肝臓がいかんぞう。
、、数日悩んだのですが、つい書いてしまいました。
(・e・) やっちまいやがったピヨ。
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昨日、カップルでにぎわうスキー場のスキー・スノーボードレンタルコーナーにて
彼 「この用紙にレンタルする物と、住所、名前、日数とか書くんだぜ。」
彼女「ふーん。 で、今日って何月だっけ?」
こいつ、すげー!
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おっさんと二人で今シーズン初のスキーに行った。基本ひきこもりのくせに。
本日は、なにやら街中がぴかぴかしてるし、カップルだらけだし、挙句の果てにはスキー場にまでサンタの格好した集団がぞろぞろいて、そういえばそんな日だったのね。トナカイの被り物で滑ってる奴もわらわらいたからな。トナカイもこんな所でコスプレされているとは露程も思うまい。スカートのサンタねーさんなんかもいたりして、もうトナカイさんと今頃はくんずほぐれつ「鼻だけじゃなく、こっちもすごいのね。」なんて、、
そんで夜、僕は普通に帰宅。別に書くこともないけど、なんとなくブログ更新してみる。
日本中で今、どれだけの人が家族や恋人と笑顔の溢れる楽しい時間を過ごしていて、どれだけの人が一人でパソコンモニターをニヤニヤ見ながら、それなりに楽しい時間をもさもさ過ごしているのかな、と思う。まあ、人生何が起こるか分からないし、何が幸せかも人それぞれ。ついでに、どんな出会いにも必ず別れがあり、何かを得ることは失うことのはじまり。逆に何も持たないことが、何かを得ることのはじまりではないけれど。
イチゴイチエなこんな世の中だから、先程、電車の隣の席でいちゃいちゃと、二人だけの世界を楽しまれていらっしゃって、「まじ超うざい。家に帰ってからやれ。そりにでも引かれて消えてしまえ。」と心から思ったカップルも含めて、
まあ、とりあえずメリークリスマス。
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「あなたの運勢 たまの休みにはお洒落をして外出してみては?いいことあるかもよ。」
などと、テレビのお姉さんから僕への、僕宛の超個人的メッセージを受け取ったのです。
これってつまり、
「今日のてめえの運勢、今から言うから、耳かっぽじって聞け豚。たまには外出しろ、このひきこもりが!!言っておくけど、ジャージに、遭難した船員みたいな無精ひげ、できそこないのスーパーサイヤ人みたいな頭でじゃないからな。それは周りの人が見苦しいから、それでだったらこもっとけ、コンビニにも出てくるな。この前だって、幼稚園ぐらいの子がお前のこと見て号泣してただろ。お母さん困ってたぞ。お洒落といっても無理かもしんねーけど、最低限の社会人としてのルールの範囲は守れ。とは言っても、別に外出でいいことなんてないと思うけどな。まあ、人生何が起こるかわからない。10円ぐらい拾うかもしんねーぞ。まあ、そんなとこ。そこんとこよろしく。」
ってことだろ、ちくしょう!
などと被害妄想にどっぷり浸かりながら、休日出勤。
今日別に休みでもねーし、早速、玄関横ではチャリがパンクしてやんの。
やっほー、イブイブ!! ってなんだこれ。
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、、げ、財布がない。
気づいたら、財布がない。魔術師並みの、それこそマリックなみの超魔術によって突然、忽然と消え去った僕の財布。影も形もありゃしない。「よし、この緊迫感と危機感を、まさに迫り来る臨場感と共に『24 -TWENTY FOUR-』並みにバリバリとブログに書くぞ。」などとは露程も思うはずはなく、ほんとにほとんど半泣きになりながら、真っ暗な職場とその周辺を徘徊しておりました。夕飯買ってからの足取りを全部たどった。その甲斐あって、先程、ようやく職場の廊下で無事身元確保。良かった、君に再び会えて、、、
安堵感と共に湧き起こる別の思い。
ああ、年末の土壇場にこんなところで運を使ってしまうなんて。
これで、これから今週末までに、ドジでかわいい女子と街角でぶつかって、その落し物をたまたま拾っちゃったりして、それがなにやら国家を揺るがす陰謀に関わる一大事に繋がっていて、それでもってなんやかんやあって、レジスタンスの人達の力を借りて多くの試練を乗り越え、最終的に、
僕「良かった、君に再び会えて、、、」ドジっ子「ホントにそう思う、拾ってくれたのがあなたで。まるで、あなたは私のサンタクロースね。」
なんてことが起こる目、消えたな。
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どうでもいいことが気になった。
大切なこと、絶対忘れちゃいけないことはすぐに抜けていってしまうのに、ふと思ったどうでもいいこと、何の役にもたたないことはすごく気になってしまう。しかもだいたいそういう波は、「今じゃないだろ、今じゃ。」というタイミングでやって来る。たとえば、すごく忙しい時だったり、たとえば、夜中だったり、、
フリーター(freeter)ってどういう意味?
教育テレビなんかで、フムフムが調べそうな社会派な疑問が、もやもやと真夜中に湧いてきた。「教えておじさん、フリーターってなーに?」「うん、それはいい質問だね。でも、その前におじさんじゃねーって何度も言ってるだろ、このくそったれ。ぶっ殺すぞコラ! で、フリーターというのはね、、、」
語感的には、自由(free)な人?この言葉自体が微妙に、というか濃密な悪意を含んでいるように感じるのは、僕が素直に物を見る心を失っているからかな。社会の歯車になっていない、フリーな人?でも、自分の英語の苦手っぷりを考えると、もしかしたらそんな単語があるのかもな。フリート(freet)なんてありそうな言葉だし、フリートな人でerつけてフリーター(freeter)なのかもしれないぞ、、、?で、フリートって何だ?
すごくどうでもいいのだけど、激しく気になったのでネットさんに聞いてみた。結果、フリーターは和製英語、やっぱりフリーな人だからっぽい。英語ではpart-time jobber。これだと、なにやら夢も希望もなくなるような、現実的な言葉だ。
ちなみに、freetailだとオヒキコウモリ。
夜の闇に潜んで生きるオヒキコウモリ。ちょうどフリート(freet)ぐらいまでだと、ヒキコモリぐらいだな、とか考えたら、やっぱり世界は悪意に満ちているなあと思った。
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下の階に住むゴリラに挨拶されちゃった。
ああ、ヤンキーだ。ゴリラみたいだ。などと密かに恐れていた下の階に越してきた人。階段ですれ違いざまに挨拶されてしまった。そりゃあ、アントニオ猪木みたいに元気良く、「こんにちはー!!元気ですかー!」なんて感じではないけれど、「ちわっす。」って。だから、こちらも「ちわっす。」
見た目は世紀末といった風貌で、ケンシロウに真っ先に飛び掛って逝きそうな感じの彼だけど、意外といい人なのかもな。で、反省した。自分は外見で人を判断し過ぎているんじゃないかと、、
近頃はなにやらビジュアル重視な風潮で、「人の心の中なんて見えないじゃないか」などと人は言う。「結局、人にどう見られるかだろ。この心を、みんなは直接見るわけではないんだから、、」などと悲しいことを言う若者も多いと聞く。
だから、「人は見た目が9割」などという、どこぞの殺人鬼のように冷酷な、人の心のを失ったロボ超人でも泣いちゃうんじゃねーのかと思うようなことを言われて、「そんなの余計なお世話だこの野郎。野球は9回2アウトからだぞ。」などと錯乱しながら、勘違いして買ったハンカチで涙をぬぐった人も多いことでしょう。別にハンカチ持っているから王子だとか、いけてるという訳でもないんだよね、誰が持っているかが重要なんだな、、、ま、まあ、僕のことではないですけど、、
で、状況というのは、悪い方には極端に変化するものだ。だから、このままの状況が進めば、21世紀の後半位までには、「ブサイクは地獄に落ちろ、ブサイクに死を。」「その存在自体が罪だ。死んで償え。」などとブサイクの存在を全否定する、キリシタン弾圧のような壮絶な、ビジュアル暗黒世界になりかねない。これが僕らが夢見た未来の国か、こんなことの為にお父さん達は汗水垂らして頑張ってきたのか。
そんな未来の苛烈な弾圧っぷりには、かのフランシスコ・ザビエルなんかも草葉の陰で泣くに違いないのです。「私の愛した日本はこんなじゃなかった。日本人はこんなじゃなかったデース。」だいたいそんな未来なら、ザビエルはハゲだというだけで、教科書の写真とか絶対焼かれるもんね。間違いなく焼かれるね。「ザビーはハゲではなくて、頭剃っているだけだぞ。まあ、剃らなくてもハゲている可能性も否めないけど、、」と未来の人に教えてあげたいデース。
結局、テレビなんかが発達して、さらにはネットまでが普及して、そんなブロードバンドな世の中が、映像ビジュアル重視のこんな風潮を作ってしまったと僕は思うのです。その波が低年齢層にも広がって、今では子供たちまでお洒落さんばかり。子供向けのステキな洋服なんかも売れ筋商品になっていると言うじゃないですか。でも、昔は違った、
僕が子供の頃はそんなじゃなかった。子供たちはもっと大らかでワイルドだったもんだ。こんな季節でも半ズボンで、鼻水なんてジュルジュル垂らして、袖口をテラテラ光らせながら走り回っていた。友達のK君なんて「鼻水しょっぱくて意外とうまいぞ。試してみろよ。」などと、その当時でも狂っているとしか思えない行動に出て、子供ながらに「奴は一線を越えたな。」なんて思ったもんだ。
K君はともかくワイルド、今思い返しても、野獣といっていいぐらいにワイルドだった。もちろん野獣といっても小学生だから、「ひ、ひどい、私の体だけが目的だったのね。もう出て行ってよ、このケダモノ。」なんていうジャンルではなかったけど。でもその分、鼻毛なんてボウボウで、小学生の低学年でもう胸毛も生えていたからね。それこそ動物園から逃げてきたゴリラの子供みたいで、床に落ちたパンなんてものともせず、もう当然のようにムシャムシャ。その様から、ついたあだ名が不潔マン。
人前で鼻くそほじるなんてお手の物だし、すげえ馬鹿力で力の加減とかはもちろん知らないタイプだから、一度なんて”ドロケイ”でプールのフェンスに上って逃げた僕は、足を奴に引っ張られて、地面にたたき落とされたもんね。お酒以外で意識を失ったのはあの時だけだ。
その野獣っぷりには、「美女と野獣」の野獣なんて、ハア?ってな感じ。だいたいあんなまともな野獣なんていないじゃない。野獣を名乗るなら、のっけから美女に襲い掛かって、「おっ、ついにディズニーもイメチェンか?ブラックディズニー来たか?」とか当然合ってしかるべきなのに、でもそういうことは全然なくて明らかに紳士。そのくせ、性格だけでなく外見も清潔感があって、うんこをぶりぶり垂れ流している訳でもない。ほんと野獣の風上にもおけないよ。第一、キャラが立ってない。「お前はどんな野獣をイメージしているんだ?それで野獣のつもりか?おい野獣、おい、おい」と浜口さん(親父)に説教させてやりたい。
その点K君なんて、全然違う。野獣の名に恥じず、ちんちんに毛が生えるのもクラスで一番早かったから、林間学校で風呂に入る時なんて、みんなからヒューヒューと囃し立てられてたもんな。でも、みんなに見られる中、それでも威風堂々と風呂につかる様がなんだかちょっとかっこ良く見えた。その動じない心、僕らはそこに彼の野獣のプライドみたいなものを感じたんだと思う。まあビジュアル的には、ニホンザルの来る秘湯温泉紹介、”これがサルの入浴風景だ!”みたいな感じになっていたけど、、
で、
結局、人は人を見た目で判断してしまう所があるのは事実としても、それに対する認識は、むしろ自らを戒める方向であるべきだと思う。”他人から見た目で判断される”という方向だけでなく、”他人を見た目だけで判断し過ぎてしまっているのでないか?”と自分を省みる姿勢。
人間が見た目から相手の情報を得る傾向が強いことを知った上で、「おい、見た目ばかりに注意が行き過ぎていないか。確かに美人だけど、もっとそれ以外のところも見ろよ。おっぱい見えてるぞ。性格がやばいかもしれないぞ。」とか、「すげーブサイクだけど、いい奴かもしれない。見た目でばかり判断しない様、注意しろよ」などと、逆に意識する姿勢が大切なのだろう。僕も注意しよう。
だから、下の階に越して来た彼についても思うのです。
ああ、ヤンキーだ。やばそうだな。関わりあいたくないなとか、、だいたい、いつレベルアップして鉄砲玉にジョブチェンジするか、分かったもんじゃないよとか、、きっと、週末は集団でシンナーなんて吸いながら、難しい漢字の服着て暴走しているんじゃないかだとか、、、ついでにレディースの女子なんかに乗っちゃったりして、ベットの上でも大暴走しちゃっているに違いないなとか、、
そんな風に、人を見た目だけで判断するのは良くないぞ。たとえ金髪のゴリラみたいに見えたとしても、下の階に越してきた彼は、心優しい青年かもしれないのだ。フリフリのカーテンの部屋に住んで、趣味は園芸。植物と小動物をこよなく愛する、スミレの花のような心清き人かも知れないんだ、と反省しきりな僕なのでした。
まあ普通に考えて、心清き人は、回収日の翌日に、分別してないゴミ出したりは絶対しないと思うけどな。
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卓上カレンダーをぼーっと眺めてみる。
もう、めくる月はない今年のカレンダー。日数も数えるほどしかなくて、確実に年末、明らかに年の瀬。だけどなんだか、全然そんな感じがしないんだよね。今年がもうすぐ終わるんだというだけで、妙に落ち着かなくて、なんだかソワソワする。そんな湧き上がるような慌しさ感みたいのがさっぱりない。忘年会の予定をみても、妙に心躍らない。自分の中での年末へのパッションがこれっぽっちも感じられないのだ。どうしてしまったんだろう僕は、自問自答してみる。
、、こんなもんだっけ、年末って。ソワソワ感もなし。これが年を取ったということなのかな、、、
で、ふと気づいた。あっ、”煙突からトナカイ虐待の三太が来たぞー。”みたいのがまだないからだ。どうもあの辺りのやるせない感じが、自分の中にその後の年末感を生み出しているような気がする。
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深夜に、住宅展示場みたいなところの横をふらふらと歩いた。
で、展示場ってのは、いかにお客さんをその気にさせるかを追求している場所な訳です。住宅を買うことは、多くの人にとって安い買い物ではないから、スーパーで「今日はブタバラにするかな、でもちょっと奮発して牛にするか、、そうだ、すき焼きにしよう!」などと悩むのとはその額が違う。それだけに、財力はもちろん、強くその背中を押してくれるような夢みたいなものが重要なんだろうと思うのです。「こんな所に住めば、きっと光り輝く生活が私達を待っているに違いない。」そんな理想的な家での夢想的な未来生活を、しっかり夢見させてくれるための場所。ちょっとした大人の、資本主義の遊園地みたいなもんだな、、などと覗いたこともないくせに考えながら、横をふらふらと歩いていた。ちなみに、ふらふらの辺りはお酒がくれた夢の副作用によるものなのだけど、、
周囲には僕以外に人気がなくて、冬の夜風が寂しい感じ。猫一匹いやしない。でも、そんな展示場の中の一軒だけが一見して明るいのです。暗闇の中、夜中なのに煌々と明かりがついたその一軒。その明かりの色がとても柔らかくて、暖かくて、なにやらマッチ売りの少女が擦ったマッチの向こうに見える家、現実には存在しないそんな夢の家に見えた。
なんだか光が僕を呼んでいるように思えてきて、たどたどしい足取りで近づいてみたのです。それこそ、昆虫が光に吸い寄せられるように、、まあ、冷静に考えて絶対に呼ばれている訳ないし、確実に犯罪者一歩前みたいなことになっているのですけど。お酒って怖いよね。「もう、この家ください、2千年ローンで。」とか言いかねない感じだった。
で、側に寄って横の道路から、そのモデルルームっぽいのの中を見るとはなしに、というか見る気120%で覗くと、その一室が事務所みたいになっていて、収容所のごとく並べられた机の前でスーツを着た方々が、夜中なのに血走った目でバリバリ仕事してた。壁にはスローガンが、一文字ずつ一枚の紙にでっかく印刷されて、貼られていました。
丸文字のフォントで、”サービス残業宣言!” 宣言って、、
なんだか光の裏側を見た気がする。
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人は愚かで間違う生き物だ。そこに程度の差こそあれ。
強盗や殺人から、不倫やつけ忘れ、談合に汚職、仕事上のちょっとしたミス、電気の消し忘れ、電車の忘れ物、記憶にございませんに、勘違いや覚え間違いのレベルまで、間違いと言っても実に様々。犯罪的なものに関しては、日本は法治国家なのですから、きちんと罪を償って下さいと思うけど、軽いレベルの間違いは日常茶飯事。そんなの正にちゃめしごとで、まあそれなりに生きてりゃあ、確率的にそれなりに間違ったり、勘違いしたりすることもあるでしょう。
僕達は全知全能の神ではないのだし、完璧超人でもない。ケンダマンやスクリューキッド、さらにはあのネプチューンキングすら負けてしまうこんな時代ですもの、うん、それは全くしょうがないと思う。間違いを転じて福としたケースもあるし、明らかに転じない多くの”ただの”間違いについても、以前よりは少し賢くなった自分に会えたじゃないか、、、という実に無理やりなポジティブさでカバーしたい。そう前進は前進なんだ、たとえそれが小さな一歩でも。
記憶力が年々もりもりと悪くなっていくなあと思っている昨今、人の名前なんて特に似たのばかりだから、僕は正直覚えるのが苦手だし、すぐに間違う。だいたい名前にはそれに付随する自分なりのイメージってものがあるもんで、名乗れば良いといものでもはない。だけど、その名前でそれは無理だろう、というアクロバチックを見る場合も多いのだ。”さやか”とか”翔”とか言った名で、ぶっ壊れたザクレロみたいだったりすると、その裏側に隠されたドラマを思い涙を禁じえないのです、ハイ。
さらに、たとえ普通の名前であってもまだ油断は禁物。それぞれの人にとって、最初に接したその名前を持つ人のイメージが、その名前にくっ付いている場合がある。たとえば僕の場合、高校の頃の部活でいっこ上の女の先輩が、なにやらしゃきしゃきした姉御肌で、男から見ても格好良かったのだけど、その後出合った別の人で、大学の崩れそうな部室に暮らしている、死んだ魚の目をしたゴリラみたいなの(同じくいっこ上、分類上は先輩、男)も同じ苗字。でもね、それはもう無理。あまりにイメージが違いすぎる。しゃきしゃきした美人と、眼の濁った頭ボサボサのゴリラ。ゴリラの方を苗字にさん付けで呼ぶの、感覚的に出来ないな、というシェークスピアばりの人生の悲劇がここにこうして生まれた訳です。ゴリラに罪がないことは頭では分かっているんだけど、、。
これがもしゴリラの方が「俺は、いっこ上、今、二年の”ゴリラゴリオ”だ。以後よろしくな。ブヒー」とかだったら、もう全然問題なく「あ、ゴリラさん、こんにちは。」とか言えるのに。しかもこの名前なら絶対一度で覚えられるのにな、なんて思ったもんです。
で大分脱線したけど、
結局、大切なのは間違った時の対応だと思う訳ですよ。人は必ず間違う以上、そこからが人間としての度量が試される所なのではないかと。
その点「記憶にございません。」とかはもう論外。それは言い訳ですらない。おやおやボケ老人かと。せめて、「昨日、スナックで飲み過ぎて、さやかちゃんがかわい過ぎて忘れました。」とか言えと思う。「説明できません。」とそれを放棄することは、授業中に先生に当てられて答えられない子が、うんこ漏らしちゃうようなもんで、君も困ったんだろうけど、先生ももっと困ってるぞ。まあ小学生なら許されるけど、どこぞの会社の社長とか国会議員とか、答弁でうんこもらす国なんて狂ってる。(ちなみに、弁と便をかけてるつもり。)やっぱり、間違いは潔く認めたいものだ。
で、ぐだぐだとなんでこんなことを書いているかというと、
今日、映画を見たんですよ。コレを。
殺人で刑務所に入った兄貴と、その為に言われなき差別に合う弟の手紙のやりとり、を描いた感動巨編『手紙』(原作は東野圭吾さん)。刑務所から送られてくる兄の手紙を、疎ましく思ってしまう弟。いつも大事なところで、幸せが逃げていく。それは兄貴の、そしてその兄貴から送られてくるその手紙のせいのように思われ、弟は兄にもう二度と手紙を出さないでくれと、最後の手紙を送るのでした、、、
で、”まさに全世界が泣いたなこれは”なんて思いながら、余韻に浸って、エンドロールを見ていたらさ、名前違ってたんだ、、、ヒロイン演じてた女優の。
ようやく気づきました。「あたらしく引っ越してきた下の階の人が、似てたらどうしようかな」と悩んでみたり、知り合いとあの子かわいいよねなんて喋ったりしてたのが、”池尻エリカ”ではなく、実は”沢尻エリカ”だってことがね。
思い出してみれば、後輩が「誰ですかそれ?」みたいなこと言った時も、「知らないの?頭おかしんじゃないの。」ぐらいのテンションだったからね、僕。うん、それでスルーされたんだな。以前に”沢尻エリカ”と書いてあるのを見たことはあったんだけど、正直それは”池尻エリカ”のバッタもんだと思ってた。活き馬の目を抜く芸能界、人気が出るとすぐコレだよ、なんて思っていたらそっちが本人でした、、、。まあ、人は間違うものだし、これは小さな一歩でも前進は前進だね、てへ。
で、結局残った疑問は、 誰なんだろう、池尻エリカって? AV?
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眠い、眠い。とてつもなく眠い。
昼ご飯を食べたら、もう嵐のような猛烈な眠気がやって来た。
もうどれくらい眠いかと言うと、、
山の天気は崩れやすいと言う。でも、そんなのオーバーな表現だと思っていた。ほら映画の宣伝とかでも、全世界が泣いただとか、すぐにそんなこと言う訳ですよ。それ程考えずに軽い気持ちでそんなことを言う。全世界、そんなに泣かないよ。だいたい、そんなにみんな映画見ないから。家の爺さんなんか映画館に行ったことすらなさそうで、たぶん一人では絶対着けない。たとえるならば、初めてのお使いでいきなりユーラシア大陸横断しろ!ぐらい無理だし、そもそも外人の見分けなんか絶対つかない。ついでにおすぎとピーコの見分けもつかない。あっ、それは僕も。
だから、全世界が泣くとか絶対有り得ない。
山の天気の話もそんなことだと思っていた。「街の奴らさ、ちっと怖がらせてやんべ。」そんな山男達の茶目っ気だと思っていた。
今となってはそう考えた半日前の自分が憎い。状況的には100%遭難、だれがどう見ても遭難、そうなんです、遭難。こういう駄洒落ってのは、ほんとに遭難した時にも言うべきものなのかしら?なんて考えながらも、なんとか避難して助けを待つ。外はありえない程の猛吹雪。しかもどう贔屓目に見ても、ここは横穴式住居というか、シンプルにただの洞窟というか、そんなところにぽつんと唯一人。めちゃめちゃ心細い。
これがせめてかわいいあの子と一緒なら、もう贅沢は言わないからそれ程かわいくないあの子と一緒でも、「こんな時はお互い暖め合うしかないな。別に変な気じゃなくてさ。」「そ、そうね、仕方ないわね。生きる為だもの。でも、変な気は起こさないでよ。」「も、もちろんだよ。信じろよ、僕を!」「そうよね、ごめんなさい。緊急事態ですものね。あっ、暖かい。」なんて急展開にもなるだろうに。そんな雪山定番のシュチュエーションを思いながら、きょろきょろと周囲を見回すも、周りには木の根っこぐらいで、蟻んこすらいない。そりゃ変な気にもならねーよ。
ああ、こんなことなら雪山なんて来なければよかった。生粋のインドア派のくせに、「たまには大自然を感じるのもいいよね。」なんてあの子の甘い言葉に乗せられて、はるばる来てみりゃ皆とはぐれてほら、この様だよ。しかも一人だなんて。だいたい他の奴等はどこに行きやがったんだ、とか思ったりするんだけど、もうアフターフェスティバルっていうか、むしろ、今まさに風前の灯だ、僕。
一寸先は闇っなんていうけど、ほんとにこの世は何が起こるかわからない。しかも、突然起こることはえてして悪いことの方が多いのが不思議だ。確率的には半々になりそうなのに、何故なんだ?どうにも納得がいかない。ほんとそこそこ生きてきたけどね、未だに街角でパンをくわえた通学途中のどじっ娘な女子高生とぶつかって、ポッ、とかまずない、まじない、聞いたことない。
そのくせ、そこここにボコボコと真っ黒な落とし穴の方はしっかり空いていて、誰かの落ちるのを今か今かと待っている、ストロング金剛とか穴の中で待っている、っていうか、まさに今落ちてんじゃん。どうすんだよ、コレ。もう、めちゃめちゃ寒いんだけど、、。だいたいココどこだよ。そもそも僕がココにいることを知っている人がいないんじゃないのか、だとすると論理的当然の結論として助けは来ないんじゃないのか。Q.E.D.
希望を込めて、入り口から顔を出して見るも、数メートル先も見えない程。さっきより状況がひどくなっている気がする。雪女とか出かねないイキオイで猛吹雪だ。もういっそ雪女来ねーかな。小雪似の雪女とか来たら、「もう僕はずっと、生まれた時からびえらですよ。やっぱ時代はプラズマですよね。でも、ハイビジョンもあなたの美しさまでは再現できない。」「あら、お上手ね。」なんて。でも、小雪はあんまりタイプじゃないからな、どこが苗字かよくわからないし、、でも贅沢は言えないな。
ああ、それにしてもなんか、ぼーっとしてきた。すべてがどうでもよくなってきた。なんだか昔あったことが走馬灯のように、頭の中を駆け巡る。ごめんなさい、滑り台から隣のお婆さんの家にロケット花火打ち込んで逃げたの、弟じゃなくて僕。それからファミコンのディスクシステムで、秋くんのファイルに上書き保存しちゃったのも、、ごめんサムス。でも、もうそんなことも考えられなくなっちゃうんだな。さみしいな。意識が遠のいてきた。ああ、泣いた。なんだか吹雪で世界も泣いてるみたいだ。そう、全世界が泣いた。
それぐらい眠い。
、、、
、、
、
なんて妄想していたら、もう夜中。
なんだか人生に遭難中。 そうなん?
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